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読書の感想など

七月十一日 角川春樹『わが闘争』

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棒ラーメン。昼500円焼肉定食。夜コンビニサンドイッチ、いわし梅煮、おぼろ豆腐。カロリーを記録してみると食い過ぎということがわかる。コンビニでは卵やらヨーグルトやら納豆を買った。

 

角川春樹『わが闘争』をめくる。なかばギャグのように読めるこの本だがここまで自分のことを天才と言い切れる人間はやはりある意味で天才なのだろう。そのことを彼自身知っていて、自覚的に自己暗示をかけているようだ。そのような自己暗示を角川春樹に教えたのはナポレオンヒルの本である。そう考えるとビジネス書には確かに時代を作る力がある。現代では哲学書よりも単純に力を持っている。

そのようなルーツがあるから当然この本もビジネス書的な装いを帯びている。彼はナポレオンヒルに出会ってからは年間300冊の本を読むようになったというが、その冊数から推測するにやはり自己啓発的な内容の本が多かったと思われる。当時の自己啓発本がどのような本だったのかはわからないが、彼がその数十年後までも自己暗示の力を信じていることからその後の読書もやはり自己を啓発するものだったのであろう。

しかし意外にも彼は現代のいわゆるビジネス書を批判する。最近俺もビジネス書を読むようになって気付いたことだが、ビジネス書が提示する理想の人生とは、早期に労働から解放され早くも30代40代から悠々自適な生活を送る富裕層の暮らしである。つまり、ビジネス書でありながら読者の「働きたくない」という願望を煽ることによって売り上げを伸ばしているのである。角川春樹はそのような考え方を老人の生き方だと言い切る。つまらない生き方という。

俺自身は根が引きこもりなので働きたくないという願望を人より多く持っているが、その俺でもビジネス書の矛盾した在り方は疑問に思っていた。労働からの解放。それを軸として一致するBライフ系ニートと意識高い系ビジネスマン。結局新自由主義が人の心に植えつけたのは、「働きたくない」という非生産的な気分なのである。

だからこそ本編では自らを天才と断言して憚らなかった著者が文庫版の後書きでは自己を二流だと表現しているのかもしれない。それは反時代的な振る舞いなのだ。二流であるということは不良であるということだ。ハルキ文庫が今更電子書籍やウェブの世界でイノベーションを起こすとも思えない。このレーベルは最後まで紙の本を主たる売り上げとして生きていくだろう。だからハルキ文庫を天才の仕事ということはできない。ただハルキ文庫は面白い。面白い本の割合が高いと思う。これは「良い仕事」がハルキ文庫にあるからだろう。このような仕事の在り方は天才のものというより職人のものだ。角川春樹は最終的に生涯一編集者という仕事観を得たが、それは職人の考え方である。仕事それ自体が楽しければ職人の生き方もまたこの上なく自由な生き方と言えるだろう。そして確かに、一発当ててニートになりたいというくらいの仕事観しか持たない新自由主義者より人間として信用に値する仕事観だ。

この本はビジネス書の水準を突き抜けてしまい通り一遍のビジネス書とは真逆のことを言っている。ビジネス書にはこのような中和剤がたまには必要だ。