hkmaroのブログ

読書の感想など

同じことを書いていくしかない&新自由主義は素晴らしい

毎日過ごしていて、特筆すべき新しいことなどそうそう起こらない。せいぜい月に一度あれば良い方であろう。だから話すことなど何もない。書くこともない。生きれば生きるほど、ほんとうは人間は寡黙にならなければおかしい。

しかしそれだと寂しくなってくる。精神の健康を保てるレベルのコミュニケーションというものが不足してくる。だから年寄りは無理して喋る。喋る程のことなど無いのに、喋ろうとする。だから同じことを繰り返す。昔私はそういう老人のことが嫌いだった。と言うより今も嫌いだ。特に自慢話を繰り返す老人たちはすぐに死んで欲しい。でも、同じことばかり繰り返し喋る年寄りの中には、明らかに寂しさから無理してそうしている人もいる。そういう人に対しては、多少理解の眼を向けることができるようになった。

人間には語るべきことなど本当はなにもないのだ。しかし語ることを本能として運命づけられているのが人間でもある。だから人間は大人になるにつれ無駄なことばかり喋る。そしてそれで良いのだということが最近になって少しだけわかってきた。無論、話に付き合わされる側にとってみれば迷惑ではある。そこはお互い様として納得して付き合うしか無い。代わりに自分も話したいことを何度でも繰り返し話せば良い。

だから私も同じことを何度も何度も繰り返し書こうと思う。新自由主義は素晴らしいということを。しかしなぜ新自由主義が素晴らしいかということを、違った方向から説明してみたいとも思う。

新自由主義が破壊するものとして優れているということは先日書いたようにわかった。しかしそもそもなぜこの世の一切合財を破壊せねばならないのだろうか。そうした方がいい理由は何か。

当然のことではあるが、この世がくだらないからである。この世は本当にくだらない。だから破壊したほうが良い。この世を破壊してくれる新自由主義は素晴らしい思想であり方法である。特に、この世界で損な役回りを演じることを余儀なくされている者たちにとって、世界を破壊し更地に変えて白紙からやり直させてくれるようなものは断固肯定すべきである。たとえその破壊の対象に自分自身が入っていてもだ。

最近は文部科学省からの有名大学への天下りの問題が連日ニュースに流れてくるが、これも新自由主義がもたらした喜ばしき風の一つである。学者の地位などはカネで買われることによってその実質を失い、文化・文明としての大学は空洞化するべきなのだ。これも破壊の一つだ。これをけしからんことだと怒る真面目な人間が多数いるはずだが、それ以外に密かに溜飲を下げている人たちも居るはずである。ざまあみろと思っている人たちも居るはずである。大学など滅びてしまえと思っている人たちも居るはずである。新自由主義はそれらの憎しみ全てを抱擁しながら人間の願望を成就させていく。特に負の感情に対して新自由主義は優しい。だからこの世は人間の願望のとおりにどんどんと破壊されていくのである。

私はその様子を眺めているのが楽しくて仕方がない。我々を辛い目に合わせてきたこの世界が悪い方へ悪い方へと流れていくのは楽しい。なぜそう楽しんでいられるのかというと、我々の様な人間はこれまでもう既に相対的に辛い目に遭ってきているので、どちらかと言うと失うものが少ないからである。それよりも昨日まで幸福に暮らしていた人間たちのほうが新自由主義のお陰で不幸に陥る確率が高い。それは我々にとって福音である。この世の破壊の訪れの瑞兆だからだ。

どんどんとこの世は破壊されていく。生き残るための条件は過酷になっていく。それを端的に示しているのは情報弱者は低価格のサービスを受けることができないという昨今の携帯電話の料金体系である。またはいすみ鉄道のようにネットからしか予約を受け付けないというようなサービスの登場である。あるはPCデポである。これらは新自由主義がもたらしてくれた状況だ。MVNOやネット申し込みという形態は、むしろニート貧困層に優しい。ニート新自由主義に虐げられているのではない。ニート新自由主義に適応した存在なのだ。だからニート新自由主義による破壊が尚進んでも生き残るだろう。少なくとも情報弱者よりも生き延びる。同じようなことは貧困層にも言える。国産メーカーやブランドメーカーの無駄に高いパソコンばかり買い換える金持ちよりも、中国製の「コスパ高い」PCやらスマホで毎日ネットに張り付いている貧困層のほうが、情報には強いだろう。そういう存在がネット長者になる。毎日毎日Twitterその他に張り付く行為も全く無駄ではないどころか生き延びるためのスキルとなる。

我々人間のクズは、世に憚らなくてはならない。それだけが生きる意味と言っても良い。幸福な人たちが不幸な目に合うのは何物にも替え難く楽しい。ルサンチマンの開放でもあるし、何より破壊を第一の楽しみとする自棄的人間には社会の水平化は最高の理想でもある。この世が崇高なる新自由主義によって破壊されていく様を一秒でも長く眺めて楽しむために、我々人間のクズ、ニート、メンヘラ、その他のゴミみたいな人間達は、積極的に生き延びねばならないのだ。新自由主義を推進して、この世の全ての人間たちを地獄へ叩き込もうではありませんか!(革マル派の演説風に)