hkmaroのブログ

読書の感想など

いまや30台中盤の独身のキモくて金のないおっさんだけど、メモリージャーを始めてみたいと考えているんだ

 もうこの世に楽しいことなんて何も無い。幸せなんて全然感じない。自分が幸せと思ったことも無い。そもそも幸福は資本と同じようなものじゃないか。幸せなやつはどこまでも幸せになるんだ。毎日毎日楽しいと思ってるからいろんなことにやる気がでるし、いろんなことにトライできる心の余裕がある。確かに俺も人生の一時期まではそうだった。でもそんな時期は終わってしまった。案外短かった。幸せを使い果たしてしまったんだ。

 幸せっていうものはお金みたいなものだ。お金はたくさん持ってれば自然とお金が集まってくるもんだ。利子っていう仕組みがそもそもそういうもんだし、ある程度お金をかけて着飾って余裕をもって毎日過ごせばお金持ちという評判がたってみんなから信頼されて重要な仕事を振ってもらえる率も高まるというものだろう。教養もお金があるからこそ身につけられる。教養はお金がなければ身につかないんだ。

 大金持ちはさらに大金持ちになっていく。小金持ちはだめだ。小金はそれ自体でカネを増やすところまではいかない。毎日生活しているうちになくなってしまう。せめて一億円くらいは資産として持っていないとそれだけでお金を増やすことは難しいだろう。さもなくばあくせくと働かなければならない。貧乏人の想像だから合っているかわからないけれど。

 幸福にも同じことが言える。ちょっと幸せ、というくらいの幸せはすぐに使い切ってしまう。生活しているうちに、幸せがどんどんこぼれていってしまう。ものすごく幸せな人間は違う。その幸せにつられて沢山の人が集まってきて、もっとたくさんの幸せを貢いでくれる。人気者になる。だから幸福な人は何があっても幸福なのだ。逆に幸せを使い切ってしまった人はどうなるのか。もう一生不幸なままだ。誰も寄り付かない。一緒にいても幸せそうに見えないから、人はどんどんと離れていく。孤独になる。

 そんな不幸せな人にも支えはある。酒だ。あるいはクスリだ。あるいはギャンブルだ。そういうものは不幸な人であっても摂取すれば不思議に不幸をごまかすことができる。だからどんどん摂取してしまう。依存する。その依存が実は多分その人をもっと不幸にする。だから、不幸な人は幸福にはなれない。

 でもいくら不幸であっても人間は幸福を目指すものだ。それは当たり前だ。辛いよりも楽しく楽に過ごせるほうが良いに決まっている。貧乏だからと言ってもカネは無いより有ったほうが良いに決まっているのと同じだ。貧乏な人がカネを夢見るとき、一体何をするだろうか。どうやってカネのある状態を作り出そうとするだろうか。多分、貯金箱を買ってきて少しずつ貯金するのだ。実際、俺はカネの無いおっさんだけど最近貯金というものを始めた。所詮三日坊主で終わるのかもしれないが、やらないよりは良いはずなんだ。だから始めた。

 同じように、幸福も貯金ができるはずだ。なぜなら幸福はカネと似たようなものなのだから。幸福の貯金はどうやったら実行できるのか。最近ツイッターで見かけたが、メモリージャーと言うものがあるらしい。透明の小瓶に、幸せな事があったら紙に書いて入れておく。透明だから瓶を眺めると楽しかったことが思い出せるし、紙が貯まると幸せなことがたくさんあったと実感できるらしい。そして挫けそうなときは瓶を開けて心を慰めるらしい。

 元々は海外の少女達の間で流行っていたものらしいが、多分日本人の女性たちもやっているのだろうと思う。男は、特におっさんはやっていないだろう。しかしこの幸福の貯金は日本のキモくてカネのない孤独なおっさんにこそ必要だと思う。なぜなら我々おっさんはこの地上においてもっとも幸福を感じにくい層の一つだと思うからだ。だから俺はやる。メモリージャーをやる。キモくてもやる。カネの貯蓄と同時に幸福の貯蓄も行う。それによって幸福をほとんど感じない生活において、少しでも幸福を実感したいと思う。幸福を増やし、ピューリタン的に蓄財に励みたいと思う。思い出を反芻して生きるのだ。