hkmaroのブログ

読書の感想など

七月十七日

七月十七日。昼:生協食堂のカツカレー。夜:コンビニの冷やしタンタン麺。

毎度思うことだが反原発だとか反反原発だとか、原発なしで電力が足りるだの足りないだの、そういうことについて確信めいた意見を持っているやつはみんな宗教家に見えて仕方がない。それか未開人に見えて仕方がない。そんなことは実地にやってみなければわからないのであり、電力が足りるとするデータにも信仰がにじみ出ていないはずがないし、電力は足りないとするデータも同様だ。発電電力量と必要電力量に関する調査として、二つ以上の独立した機関が作ったデータがあって比較検討できるのであれば別だが、もしそういうデータがあったら私の不明を反省するが、どうも世の中の原発いるいらない議論を聞いていると、多くの言説がどっちかの信仰に依存していて、しかもそのことに無自覚的である。

その意味で、松本哉の反原発は自らの党派性に自覚的であるというところに好感を持てたし、そもそも彼の言説は印象としては電力が足りるかどうかではなくて反原発を信仰する人がこんなにいるのにそれを無視する国政は民主主義として成り立ってない、というものであって、これは十分に納得のいく言説である。キリスト教信者が国民の八割以上を占めるような国において、政教分離が大事なんで、みたいなことを言ってキリスト教信者の神経を逆なでする政策をガンガン打ち出したりすることがないのと一緒だ。宗教であれなんであれ、それが国民の声であるかぎり民主主義国家はその声を何らかの形で反映せねばならない。でなければ語義矛盾である。たとえそれが衆愚の声であっても、民主主義とは衆愚制と表裏一体なのだから仕方がない。

つまり何が言いたいのかというと、反反原発を言うやつは自らの信仰心を最低でも自覚しとけと言いたい。ナイーブな反反原発論者はもうほんとにバカに見えて仕方がない。もちろん同様に反原発を謳うやつもそうである。これほど大規模な測定が必要な問題について「絶対足りる!」だの「絶対足りない!」だのということを個人の調査のレベルで断言できると素朴に信じているやつの脳みその出来を疑わざるを得ない。端的に言ってバカ以外の何者でもないと思う。これは信仰の問題であり感情の問題でしかないということをまず認識しろと言いたい。

私は政治に興味がないので原発が動こうが止まろうがどうでもいいし、私一人が何を言ったり投票したりしたところで何も変わらないだろうから行動することにも興味がないが、私のこのような態度、ひいては政治的無関心を貫くいまどきの大衆たちの態度を、いやに断言的な口調でなじり抑圧し特定の信仰へ誘導しようとするあらゆるバカどもを私は拒絶したい。

それと全然関係ないけど、最近ネット上で、読書感想ブログはネットのゴミであり書いてる奴は迷惑、みたいなこと書いてる奴がいたが、そういう奴はネットを何だと思ってるんだろう。ネットが自分のほしい情報を、ゴミをあらかじめ排除して与えてくれる、あるいはそうあるべきだとでも思っているのだろうか。キチガイである。そうじゃないからこそネットに可能性があるのだ。こういうバカこそネットの自由を消滅させようと振舞うからネットから排除されるべきである。回線切れ。