hkmaroのブログ

読書の感想など

七月十五日

七月十五日。昼:ポポラマーマ。夜:亀仙人
人間は何のために生きるのかという問題よりも、最近は、人間は何を楽しみに生きるのかという問題のほうが重要なのではないかと思えてきた。意味とは社会的に生まれるものであり、快楽は身体的に得るものである。この快楽は、社会からの意味的果実により得ることもできるし、純粋に動物としての身体性から得ることもできる。まあ、どちらにしたところで快楽をつかさどる何らかの器官を介するという意味では根本的には変わらないのかもしれないが……

人生を楽しむということは一体どういうことかを想像してみたときにいつも思い出すのは、米村圭吾の小説に出てくるような冷や飯喰らいが釣りをしている図や、缶ビールのCMとかに出てきそうな、たまさか釣れた魚(あるいは秋刀魚とか)を網で焼いてはふはふ食いつつビールを呷る図などである。そういうものが確かに人生の楽しみである一方で、毎月出るラノベの新作を読み漁ることが彼にとって秋刀魚的存在であるということもあり得るし、一方古典を逍遙することがある人にとっては秋刀魚であるかもしれない。人は結局死ぬものであり、死ぬ瞬間に至っては意味もへちまもないのであり、そうである以上いかに楽しみながら死ぬかだけが問題なのではないかと思えてきた。つまり、いかに旨い秋刀魚を食いながら死ぬかである。人生とは秋刀魚を探求する過程である。