読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

hkmaroのブログ

読書の感想など

七月六日

七月六日。昼:生協食堂の天津丼。夜:新所沢の亀仙人


浅羽通明が今こういうのをやっているらしい。人文オタクぶりはすごいが、正直二時間は長かった。最後のほうの主張がアツい。日常と生活の違い、とかいうのは結構面白かったが、ようするに生活が大事なんだ、ということのようなのだけれども、これはつまり「関係の絶対性」に永久に縛られることを意味するのではないか。そういうものには個人の精神が介入する余地はほとんどなく、社会的有機体の集合的な「意志」が半ば自動的にいろいろな小さなことから大きなことまで決めていくわけであり、そうするとこういう動画を見て啓蒙されたいとかいう個人の精神も大局的には意味がないということになる。ここでもやはり、個と構造が問題なのだ。一歩引いた視点、とか、メタ、とか、社会学的、とか言われる考え方が土台であるとか無意識であるとか規定するものとかを追及する方法は、結局土台の土台の土台の土台……というものを永遠に捜し求めるしかなくなる。私には、そういう考え方よりも、土台が個を構成し、その構成された個が次なる土台を構成する、という三島由紀夫の文化意志的な考え方のほうが説得力があるように感じられるし、何より魅力的である。今現在プラグマティックな有用性が無いと見える何かも、それが種まきとして機能する時点できわめて有用である。真の意味での政治とは、現時点での国民投票ではなく、未来の空気を決定する何かではないだろうか。

あと今おなじ浅羽の『アナーキズム』読んでるけど、やっぱり文体が奈須きのこみたいでウザい。