hkmaroのブログ

読書の感想など

七月三日 本を買うのは病気である

七月三日。雨。

今日もまた本を買った。本を買いすぎだ。本は十冊買ってもそのうち一冊読めばいい方だ。一体何のために本を買っているのだろうか。最近はもう本屋に行って本を買わずに出たときは逆にストイックな達成感をすら感じる。本屋に行って本を買ってしまった日は負けた日なのだ。じゃあ本屋って何のためにあるの。本屋は本を買わないように我慢をするための、我慢できるような自分を作り上げるための、修行の場なのだ。本屋は本を買うための場所ではない。本屋では、どんな本がいらないのかを勉強するべきなのだ。本当に欲しい本が、本当に読むべき本が、本屋なんかに置いてあるわけがない。本当に読まなくてはならない本は取り寄せなくてはならない。あるいは、足が棒になるほど街中を歩き回ってようやく見つけることのできる一冊でなくてはならない。考えれば明らかなことなのだ。どんな本を読みたいのか、ということは、論理的に導き出されるはずなのだ。こういう本が読みたい、という意思がまずあり、その意思に合致する本をこそ、人間は読むべきなのである。それゆえ、本屋でたまたま目を引いて、などという理由で買って帰る本の大半が読まれずに捨てられるのも当然のことなのだ。本は、出来ることなら買わずに済ますべきものなのだ。そして、それ以上に、できることなら読まずに済ますべきものだ。これはショウペンハウエルも言っていることなので恐らく普遍的に妥当する真理である。

しかし時間を飛躍的に何十倍にも引き伸ばすことの出来るアクセルワールド的な技術が開発されたら、上記の諸前提は一挙に吹き飛び、書物のユートピアが生まれるであろう。そういう時代に、できることなら生まれたかった。