hkmaroのブログ

読書の感想など

六月二十六日、六月二十七日

六月二十六日。昼:生協食堂のラーメン丼。夜:コンビニのビール。
六月二十七日。昼:生協食堂のカレーメンチ定食。夜:温野菜。カネが減った。

私は有名人でもないくせに人一倍エゴサーチをするのだが、そしたらツイッターで

http://d.hatena.ne.jp/hkmaro/20110817/1313590660

の記事が筒井康隆のパクリとまでは言わない(がそれに類するような)何かだ、とか指摘されていた。しかし私が筒井康隆を読み始めたのはここ一ヶ月の話である。それ以前には映画で顔を見たことがあるくらいで、正直作家としては大したものではないと先入観で思っていた。そういう認識を改めたから読もうと思ったのだが、それはともかく、おそらく上記記事で述べた内容程度の認識は、ある種の人間にとってことさら指摘するまでもないことであって、そういう一部の人にとっては常識にも類する感覚についてパクるもへったくれもない。これをパクり(に準じるような何か)だと言ってしまったらかなり多くの人間がパクり(にも似た行為)を日常的に行っていることになろう。僕達の大好きなマンガやアニメやゲームやラノベは表現の自由の名の下に、あるいは経済的な有効性のもとに、あるいは日本独自の文化という美名の下に保護されて当然、という感覚のほうが狂っている。実際に私が上の記事を書くに当たって念頭においていたのは大塚英志である。

最近英語の勉強のためにテリー・イーグルトンの『リテラリー・セオリー』を読んでいる。一日四ページしか読み進まない。しかしこれを毎日続ければ、石の上にも三年というのか、ちょっとずつは読み進むのであり、今日は百十ページくらいまで進んだ。英語能力は全く向上した気がしないが、とりあえず達成感はなんとなくある。このまま読みきってしまいたい。読めば読むほど知らない単語に沢山当たって、辞書を常に片手に持っていなければならず、日本の英語教育ってなんなんだろうなあ、と思う。読む能力を主に教えているくせに、実際の英語の本を一冊も満足に読みこなすことができないのだ。単純に私がバカなだけか。