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hkmaroのブログ

読書の感想など

六月十六日 小熊英二『日本という国』

六月十六日。ガクショウに誘われたので朝早起きして秋葉に行き『フェノメノ』の体験版を受け取る。整理券は太田編集長から、体験版はアフロヘアーの人から受け取った。

馬場へ行き芳林堂でラノベ購入。

アパートに帰り、所沢まで歩いてブックオフに入る。十五冊105円の本を買う。電車で新所沢に戻り、パルコのスターバックスで早速買った本を読む。小熊英二の『日本という国』。

日本という国 (よりみちパン!セ)

日本という国 (よりみちパン!セ)

いくつか抜書きしておく。

「約三一〇万人が死んだ」とか簡単にいうけれど、一人の人間が死ぬことは、遺族や縁者に、大きな傷を残すことだった。作家の夢野久作の長男だった杉山龍丸という人は、敗戦直後に復員事務の仕事(戦争から帰ってきた人や行方がわからなくなった人にかんする問合せの窓口)に就いていたときのことを回想して、こう述べている。
「私達は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、貴方の息子さんは、御主人は、亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていた」。「留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装が多かった」。杉山はある日、小学校二年生の少女が、食料難で病気になった祖父母の代理として、父親の消息を尋ねにきた場面に出会った経験を、こう書いている。

 私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島〔フィリピン〕のルソンのバギオで、戦死になっていた。
「あなたのお父さんは――」
 といいかけて、私は少女の顔を見た。やせた、真黒な顔。伸びたオカッパの下に切れの長い眼を、一杯に開いて、私のくちびるをみつめていた。
 私は少女に答えねばならぬ。答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。
「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです。」
 といって、声がつづかなくなった。瞬間少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。……しかし、少女は、
「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。おとうちゃまが、戦死していたら、係のおじちゃまに、おとうちゃまが戦死したところと、戦死した、ぢょうきょう、ぢょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの。」
 私はだまって、うなずいて……やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。
 涙一滴、落さず、一声も声をあげなかった。
 肩に手をやって、何かいおうと思い、顔をのぞき込むと、下くちびるを血がでるようにかみしめて、カッと眼を開いて肩で息をしていた。私は、声を呑んで、しばらくして、
「おひとりで、帰れるの。」と聞いた。少女は、私の顔をみつめて、
「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの。」と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
 私は、体中が熱くなってしまった。帰る途中で、私に話した。
「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは、泣いてはいけないんだって。」と、小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。
 どうなるのであろうか、私は一体なんなのか、なにが出来るのか?

 ルソン島バギオの戦闘の実態は、さっきも述べたように、弾も食料も薬もろくにない日本兵たちが、アメリカ軍の空襲や砲爆撃でほとんど一方的に殺されていく、といったものだった。そしてこの戦闘が行われていたのは、一九四五年二月ころ。まさに、昭和天皇が近衛の降伏提案を拒否した時期だった。またルソン島をふくむフィリピンの戦いでは、日本軍の戦死者の約八割が、さっき述べた「広い意味での餓死」だったと推定されてもいる。

また別の箇所。

 それだけでなく、在日米軍が日本で自由に行動できるように、一九五二年二月に日米行政協定が結ばれた。それによって、アメリカ兵と、その家族のうち二一歳未満の者は、罪を犯しても原則的にアメリカ側に裁判権があり、日本側の裁判では裁かれないことになった。この日米行政協定は、一九六〇年に安保条約が改定されたさいに正式に条約化されて、日米地位協定と名前が変わった。
 ずっとのちの一九九五年に、沖縄でアメリカ兵三人に、一二歳の女子小学生が暴行されるという事件がおきた。そのとき、沖縄の人びとはひどく怒って、米軍基地反対運動がもりあがった。しかし、日本側の警察は犯人のアメリカ兵たちの逮捕状をとったものの、犯人たちは米軍基地内に逃げこんでしまい、アメリカ側は犯人たちの身柄ひきわたしを拒否した。このときアメリカ側が拒否の理由にしたのが、この日米地位協定だった。
 また一九五一年に結ばれた日米安保条約では、米軍基地の使用には期限や制限がなく、一九五二年の日米行政協定では米軍の駐留費用は日本も分担することになった。
 アメリカ軍が日本に駐留したり、米軍基地を維持する費用の日本分担金は、一時は廃止されていたものの、一九七八年からは「思いやり予算」という名前がついて復活した。こうして米軍基地の日本人従業員の労務費から、基地の光熱費や施設整備費などまでを、日本政府がはらっている。
 二〇〇三年版のアメリカ国防総省報告によると、日本の「思いやり予算」は日本駐留の米兵ひとりあたり年間約一二万ドル。これは世界でも抜群におおい金額だ。
 (中略)
 これだけのお金が、日本に住む人びとの税金(在日外国人も税金をはらっている)からしはらわれているわけだ。アメリカ側にとっては、これだけお金をはらってもらって、極東から南アジア、中東まで展開できる基地や港などを確保できるのだから、「同盟国」としてこんなにおいしい相手はいない。

その他にも、アメリカへの憎悪めいた感情を読み取れる記述がいくつかあり、著者の筆致においては、左翼的であることが愛国的でもあるというような、現代の一般大衆的な価値観からすると捩れているとも思われそうな思想が見えてくるように思う。もちろん主著『民主と愛国』においてもそういうことは書いてあって、この『日本という国』はその入門版とでも言える作りになっている。幼女を集団レイプしてもお咎めなし、日本に居座るためのカネは日本人に負担させる、このような「在日特権」が、ネット上の右翼の怒りに触れていないように見えるのはなぜなのであろうか。通常保守派がアメリカに追従するのは、それが「現実主義」だからなのだが、ネット上の右翼においてはアメリカの問題はほぼ完全にスルーされているように見える。この事情は今話題の安田浩一『ネットと愛国』においても少し触れられている。

この小熊的反米でもってネトウヨもブサヨも連帯できるはずなのでは、と素朴に不思議に思う。しかし、『ネットと愛国』を読んだときにも思ったことだが、そのためには反米思想に対する偏見が取り除かれねばならない。その作業は途方もなく大変なことだと予想される。