hkmaroのブログ

読書の感想など

六月八日

六月八日。晴れのち雨。昼:生協食堂のから揚げ丼。

ネットで、アニメ批評系サイトの数が減ったとかで話題になっていた。私は流行のアニメに関してはそんなに興味があるほうではなく、それゆえにアニメ批評系のサイトにも興味がなかったのだが、このことと相関しそうな経験として、エロゲー批評系のサイトがだいぶ減ったと感じたことがある。先日ためしに昔みていたサイトなどを回ってみたところ、どこのサイトも2006年から2007年くらいの間に閉鎖ないし更新停止していた。これくらいの時期に何かがあったのだろうと推測している。大体の予想としては、いくつか考えられる主な原因は、2005年にmixiが大流行してウェブサイト更新で頑張っていた人がSNSへと比重を移したという事情があろうし、また2006年にはアニメ版涼宮ハルヒだとかニコニコ動画サービス開始などがありいわゆるネタ的コミュニケーションと名付けられるところの馴れ合いがオタク達の主な享楽的態度となったことがあろう。この辺を画期としてアニオタのリア充化が明白に見出せる。また、先日ガクショウと話した際にも、オタサーつまりオタクコミュニティ自体が女性部員の割合を増やしたりしていて非リア充とは言えなくなってきたということが話題になった。私がオタサーによく顔を出していた期間は2003年からおおよそ2006年くらいまでであり、その期間中に明白に部員たちのメンタリティは変化したし、女性部員の割合も増えた。私の大学には漫画研究会が三つあり、私のサークルは最も古い漫研で、オタクというよりサブカルあるいはバンカラであり、雰囲気としては雑誌のガロや『まんが道』を思い浮かべてもらえれば大体あっていて、学内には他によりオタク的な別の漫研と、少女漫画の漫研とがあった。私の所属していた漫研がサブカルあるいはバンカラというイメージ及び性質を持っていたにも関わらず、部員だった四年間の間にアニメ・アニソン・ラノベ・ゲームなどの文化が急速に漫研内で比重を増していった。私自身、IKKIだとかコミックビームだとかの話題で盛り上がる諸先輩方の中に混じりながらも、アパートに帰ったらアニメ・ゲーム・ラノベ三昧だったのであり漫画などほとんど読んでおらず、漫研のリア充的オタサー化への土台を図らずも作り上げてしまったと言えるかもしれない。昔セイントセイヤが流行っていた頃、セイヤのやおいが好きで見学してきた新入生女子を、上級生の女子部員が、机の下で足技を使って痛めつけて追い返したのだという、ほんとかどうかわからない恐ろしいエピソードを漫研では聞かされていたが、私はそこまでの抑圧的な態度を、ラノベやアニメやゲームの文化が漫研に入ってくるにあたってとらなかった。

このような流れを踏まえると、オタク達のサブカル受容の態度はおおむね孤独に楽しむ様態からみんなで一緒に楽しむ様態へと変化してきたと言え、すると作品について「語る」ことの必然性が薄れていくのではないかと漠然と予想する。ブログやサイトで批評を書かなくなった理由として、今はアニメを観たらツイッターでリアルタイムに感想をつぶやけるからそれで満足してしまうんだという説もネットにはあったが、自分の実感としても読書メーターでコメント書いたらわざわざブログで長文の感想を書く気にならないことがある。サブカルは弁証法的に受容されていたのが、即自的に受容されるようになったと感じる。おそらく2006年前後にオタクたちが「語る」ことをやめて街に飛び出し歌ったり踊ったりをはじめた瞬間には、それ以前の抑圧の記憶が多少なりともあって、解放のムードがあったのであろうが、今現在そのような抑圧と解放の文脈があるのかどうか不明だ。

しかし抑圧と解放という意識の動的過程は、そもそもオタクが他のオタクと出会いオタク話に花を咲かせることができるということそのものの中に含まれていると考えられる。田舎で一人でアニメを見ていたオタクが、大学生になって都会に出てきて、同じようにアニメを見てきた他のオタクとオタサーで出会って「語りあう」という現象は、明らかに抑圧されていたものが解放される運動である。あるいは、インターネットという手段を得て掲示板やウェブサイトで感想を垂れ流すことによる「語り」も同様である。その意味でレビューサイト・批評サイトが消滅していったように見えたり感じられたりする事態は、喜ぶべきことなのかもしれない。アニメについて語りたいという欲求が、昨今は目の前のオタ友にぶつけることですぐ解消されたり、あるいはツイッターでつぶやいて交流することによってお手軽に解消できるということなのであり、オタが社会的紐帯を再確認したり拡大していくにあたっての障壁が少なくなったと受け取ることもできるからだ。とはいえそれが単純に手放しで肯定していいのかどうかわからない側面もあることは、傍目にオタクが満足に言語を操れないようなバカ化してきたかのように映ることをとってみれば明らかだ。実際にバカになったのかどうかは別として。

私としては、オタクはみんなブログみたいなものを持って感想を発信し続けるべきだと思う。なぜなら、このブログで書評を書くと、アクセス解析に新潮社だの講談社だのエンターブレインだの博報堂だのからのアクセスが記録されていることがよくあるからで、つまり編集者たちは我々賎民の反応を見ているということであって、ここに出版社と読者のフィードバック関係を作ることも不可能ではないからであり、また、編集者が見ているということは作家自身について言えばなおさらそうだと思えるからである。別にこれはツイッターでも何を使ってもいいのだが、やはりある程度長期間にわたって続けられるものがいいのではないか。たとえばちょっと前は出版社がマーケティングの参考にしていたのはmixiだっただろうが、今mixiを重視する作家や編集者はほとんどいないと思われる。その点個人サイトやブログはサービスの流行廃りにあまり影響されていないように見える。というのも、「mixiで拡散」「twitterで拡散」「はてなブックマークで拡散」ということが可能だからだ。