hkmaroのブログ

読書の感想など

六月七日 大塚英志『アトムの命題 手塚治虫と戦後まんがの主題』読む 安田浩一『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』読む

六月七日。暑い。だんだん暑くなってきて、電車が臭い季節になる。昼:松屋のチキングリル丼とか何とか言う奴。相対的に値段が高いだけあってポン酢なんとか丼とかよりはうまい。

大塚英志の『アトムの命題』を読んだ。

アトムの命題  手塚治虫と戦後まんがの主題 (角川文庫)

アトムの命題 手塚治虫と戦後まんがの主題 (角川文庫)

この時期には大塚はそれなりに実証的な論証を心がけようとしているのだなということが、初期の著作と比較してみるとはっきりわかって面白い。また、(文芸)批評の流行からだいぶ離れたところに関心の領域を寄せているようで、読んでいてためになる。社会の断片化がどうとかポストモダンがどうとかネタ的コミュニケーションがどうとかいってる浮ついたヒヒョーカの本よりもこういう本のほうが後世に残るだろうと思われる。特に、この本は、手塚治虫の「映画的手法」のイデオロギーを打破したところや、手塚の「映画的手法」とは実はディズニー的なアメリカンな手法とエイゼンシュタイン的なロシア・大正アヴァンギャルドの手法が合体したものなんだ、ということを論じたところに意義があると思われる。多少とも学術的な漫画論を謳いながらも漫画に関する薀蓄自慢にとどまる「漫画論」が跋扈している中に、通俗的な意味での手塚の「映画的手法」の認識が出来上がっていて、テレビに出てる著名人にも手塚の「コマの使い方」などから映画からの影響を語る怪しい評論家はいたのだが、そういう奴らが軒並みチンピラであることが間接的に暴露されていて痛快だ。

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

最近ツイッター上で河本生活保護問題をきっかけとして「河本を叩くネット右翼」叩きが主に左がかった人々の間で流行っているように見受けられるが、一部ネット上ではツイッターが「バカッター」などと呼ばれている通り、ツイッターのバカ発見機能は思想の左右を問わず機能してしまうのであり、その兆候を、「河本叩き」叩き関連の呟きをリツイートしまくって仲間内で同意の旨を飛ばしまくる、それこそネット右翼のそれと何ら区別のつかない符牒の交し合いや、そもそも河本を叩いている人間はネット右翼あるいはそれに順ずる思想の持ち主である、というようなあっけらかんとした素朴に過ぎる雑なイデオロギーに染まっていることが容易に見て取れる発言が氾濫しているところに、見ることができるのではないかと思う。(その思考の雑さ加減および自分の思考がいかに雑でないかという思い込みの深さに関して言えばネット右翼とそうそう変わらないと私には見える)

私が色々とネット上を見た中では、下記ブログの記事が最もまともな意見のように感じられた。

http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20120526

この件に関して特定のイズムに染まらず考えるためには、思うに確認すべきポイントがいくつかあって、それは、(上記の記事において理路整然と書かれているとおり)一つには生活保護受給の手続きがどうとか生活保護制度がどのくらい実際に財政を圧迫しているのかという問題とは全く別に、昨今まじめに毎日働いている人ですら生活保護受給者以下の生活水準で暮らしていることも珍しくないのであり、タレントとして結構良い暮らしをしていると思しき人がそれにも関わらず母親を全面的に扶養せず生活保護を受給させていたという事実が、端的に一般大衆の目から見て「不公平感」を煽るような事実だったということと、もう一つは、河本本人が会見を開いて謝罪めいたことを述べるまでの間、むしろ非難する者たちの感情をさらに激化させるような対応が存在したということ、などが含まれるであろうと思われる。その辺を無視して一挙に制度の問題や原理原則の問題を云々しようとするのは右であろうと左であろうとバカである。というより、右や左であるからバカなのか。もちろん生活保護の制度について議論が交わされること自体はきっと良いことなのだろうから、河本の件がきっかけとして作用するのならそれはそれで社会的に価値があるとせねばならないだろうが、しかし実際には言論の「河本レベル」と「制度レベル」とが区別されずに戦われているように見える。「河本レベル」の言論は、悪くするとネット右翼批判やナマポサヨク批判という全く実りのない言葉ばかり量産してしまうから、このような不毛さを除去するために、最近出た本『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(安田浩一著)を読むと色々と参考になるかと思う。この本は、タイトルの通り在特会のことを取材して書かれた本なのだが、単純な在特会批判ではなくて、なぜ現代日本に在特会のような団体があるのか、在特会を生まざるを得なかった日本社会とは一体なんなのか、という視線が貫かれていてよい。おそらく人が在特会に嵌る理由と左翼思想にかぶれる理由はそんなに違わない。話がループ(あるいは矛盾)するようだが、みんな「不公平感」をきっかけに思想に目覚めるのであって、基本的にわが国の個別の在野の思想家たちは、この「不公平感」を基本的な軸として連帯できるはずなのである。具体的には、本書でも述べられているように、日本において特権めいたものを得ている外国人がいるとするならば、真っ先に思い浮かぶべきなのはアメリカという国なのではないか、という疑問について、この不公平な国・ニッポンの国民みんなで考えたほうが方向性としてはよりましなのではないかと思うのだが、しかし実際問題としては「敵」をアメリカと設定してしまうこと自体がイデオロギーなんだという反論がありうる。すくなくとも「敵」はアメリカではないと強固に信じている人がいる限り、連帯など無理なのかもしれない。

まあ、私としては政局には全く興味がないので、政治がどう転ぼうとどうでもよい。結局私は政治に関しては全くの無能力者なのであることだし。