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hkmaroのブログ

読書の感想など

六月一日 ギョーカイについてのメモ2

六月一日 くもり、夕立。昼:松屋の豚しゃぶ丼

ギョーカイが草の根を生み、草の根がギョーカイを生むダイナミズムの中に我々はいる。文化はカネになる。だからこそギョーカイは草の根を青田買いするのだ。しかし同時に文化は本質的にカネと無縁である。だからこそ草の根はギョーカイの外で文化を育む。

しかし、ギョーカイが草の根を生む過程においては明白にコピー・フェイク・シミュラークルの要素が多分にあるものの、草の根がギョーカイを作る際にはそれ以前のギョーカイにはなかった要素も大きく含んでいるように思われる。ロックがまだ草の根であった時代、わが国のロッカーたちは海外のロックを真似てロックしていた。このような形で外部を取り込んで自国の文化に変容を齎すやりかたは、わが国の文化のあり方を根本から規定していると思われる。

とはいえ、そのような大きな話になる前に、とりあえず我々の目の前にある文化現象からヒントを得て考えてみることがまっとうな思索の方向性であろう。今現在の草の根文化はおおむねその直前のギョーカイ期に大きな影響を受けていると考えられる。この事情は前日の日記にも記したので繰り返さない。しかしながら、そのギョーカイ期のさらに以前には、文化は草の根の文化を持っていたのだが、その草の根文化は、外部を取り込む形で作り上げられたものだった。マンガ文化も外国の文化に強い影響を受けていて、決して日本に起源がある文化ではないし、コンピューターゲームだって外国に起源があるし、大衆音楽などは明白に海外から影響を受けているし……、などなど、草の根は自然(じねん)していたわけではない。

いかに後世短絡化をこうむったにせよ、マンガ、ゲーム、音楽などのポップカルチャーにヒントを得ることはできるだろう。それらがどのようにしてサブカルチャーの世界を形成して若者達の意識に莫大な影響を与えてきたのかを考えることによって、逆にその特性を利用して反クリエイター身分制的社会・文化を成就することも理屈の上では可能であろう。

とはいえ、今現在が大きな枠組みで言って文化の草の根期であることを考えれば、今後はいま花開いている草の根文化がギョーカイ化していくのだと思われる。そしてギョーカイ化した文化は再び外部と接合した草の根となり拡散していくのだろうが、次期がギョーカイ期だという予測のもとにたてば、今はむしろいかにしてギョーカイに潜り込むのか、ということが実践的な課題として考えられねばならない。不況の世の中であるから、どのギョーカイも人口を減らしている。ギョーカイ内の中小企業は倒産し、大企業も人数を減らしたり契約社員・下請けの割合を増やしたりしている。このような不況具合を観察する限り、ギョーカイ内の大手企業がこの草の根期を経て昔と同じ形で復活するとは考えられない。次なるギョーカイ期においては、ギョーカイ内の企業の顔ぶれが変わっていたりだとか、あるいは同じプレイヤーがいてもその資本関係が大きく変化しているという事態が想定されるのだ。たとえば出版社はIT企業に役目を取って代わられるかもしれない。レコード会社はアニメ関連企業に乗っ取られるかもしれない。そのような内実の変化は、それに対応する草の根がどのように変化したかをいくらかは反映するだろう。

あるいは、このような急激な変化を重ねていて、しかも体力の減ってきたギョーカイに参加することが難しければ、この今の草の根において特異なプレーヤーであることが求められるであろう。つまり、次代のギョーカイにおいて商品化するような作品を作れるクリエイターであることが必要だろう。