hkmaroのブログ

読書の感想など

五月十八日、五月十九日

五月十八日。午後から強烈な雨が降った。雷もともなっている。埼玉や東京では、どこに雷が落ちているのだろうか。落雷で死亡した子供のニュースなどもある。自然災害で死ぬのは、そんな死因がライフプランにまず組み込まれない現代にあっては、やりきれないことだろうと思う。
昼は生協食堂のカツカレー。夜はコンビ二弁当。帰宅が深夜一時過ぎたので、夜中に食うことになってしまい、翌朝苦しんだ。
仕事人間風の人は私の勤め先にもいるのだが、そういう人に共通する特徴は、自己満足的な仕事をしているという点だ。そんなどうでもいいサービスをされたって、社内の人間も、客でさえも、誰も喜びはしない、サービスをする本人の自己満足に過ぎない行為が、「仕事」としてなんとなくカウントされるニッポンの民間企業の風土にあっては、こうした自己満足的仕事をする人が、なんとなく「仕事人間」として良くも悪くも評価される。彼らはたいていの場合仕事をしたつもりになっているだけであるし、「仕事人間」同士が出会ってしまうと最悪で、おのおのの「仕事人間」っぷりをひけらかしあったりだとか、あるいは「仕事人間」仲間を見つけた喜びから、一層自己満足的仕事に精を出し始め、あってもなくてもどうでもいい「仕事」に打ち込む。「仕事」がアイデンティティになってしまっている。本来そんな「仕事」に給料を出すべきではない。ただ本人が楽しいだけなんだから。カウンセラーに話を聞いてその上金までもらうつもりなのだ、「仕事人間」は。全員死ね。
かねてより評判を聞いていた『雨の日のアイリス』読む。なるほどと思うし、電撃文庫のある種の伝統を受け継いでいるとも思うが、ラノベではないと思う。

五月十九日。昼はコンビニのおにぎりとパン。夜はホイコーロー。本屋に行ったら、阿部和重の『幼少の帝国 成熟を拒否する日本人』が置いてある。安いので買った。で、読み始めたのだが、読み進めるほどに肩透かしを食らった感じがしてくる。日本人の「未成熟」なるテーマにかこつけて、自分の好きなものを出版社の金でいろいろ買い集めて「調査」しただけの本なのではないか。阿部和重という名前は我々の世代(オタク第三世代などと呼ばれることがある)にとって特別な意味を持つのだが、どんどんその名が負っていた特別さが失われているような気がしてならない。阿部和重の最高傑作は『アメリカの夜』で、その後はどんどん出版する度に本の価値を下げているような気がする。最近は特に『ピストルズ』で一気に私の中での重要性が下がった。この人はいったい何をしたいのだろうか。というか、したいことなんて別になくて、単にギョーカイに参入して社交紳士的にふるまって遊んでいたいだけなのかもしれない。そういう彼の欲望は、デビュー作である『アメリカの夜』に読み取れないことも無い。願い事はかなってしまい、ほかにやることなんてなく、単にメシのために「文壇」においてタレント的な活動をしているだけなのかもしれない。和子の部屋、か。