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hkmaroのブログ

読書の感想など

五月十七日

五月十七日。仕事は休み。今日も暑い。昼はコンビニの冷製パスタとおにぎり。
昼飯を十一時前後くらいに食ってから三時間寝る。夕方五時から秋津に出かけ、古本屋にいく。古本らんだむ、という店。

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店構えがよい。駄菓子やらガチャポンやらも置いてあり楽しい。秋津の古本屋は、駅の近くにもう一軒あるようなのだが中野ブロードウェイに移転したとかいう貼紙がしてあって閉店状態であった。古本らんだむで一冊文庫本を買う。マンガも沢山ある上フィギュアなんかも置いてある。品揃えのみ新古書店化した古本屋という感じ。子供のたまり場になってそう。秋津は一見入り組んでて焼き鳥屋とか立ち飲み屋とか多くてストリート系なので古本屋もそれに応じて多そうに見えるのだが全くない。その後武蔵野線沿いを歩き、都道4号線沿いにあるブックセンターいとうに行ってみたのだが、なんと五月十三日に閉店していた。ものすごい徒労感。ブックセンターいとうはアマゾンマーケットプレイスによく出品していて、本買うとたまにここから送られてくる。一度実店舗を見てみたかった。

武蔵野線沿いの道路のあの渺茫とした感じはなんなのだろう。

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駅周辺がむしろ「生きた町」な雰囲気をかもし出しているがゆえに一層異様さが際立つ。<人工的な世界の果て>という感じがする。しかし私はこの無機質さにこそ郷愁を感じる。実際にはこのような無機質な郊外に生まれ育った訳ではないのだが、それだからこそ巨大ショッピングモールや巨大ゲーム屋・ビデオ屋のある郊外への憧れを植えつけられているのかもしれない。実際に郊外に住んでみて、小さいころ郊外に求めていたようなものはほとんど何も無いとわかった今でさえも、郊外への憧れだけは無根拠に残っている。逆に東京都心の猥雑さや狭苦しさは許しがたく感じられる。下町的なものも全然良いと思わない。以前はアキバへのアクセスの良さから台東区に住んでいたが、住んでいるうちに本当に嫌で嫌でたまらなくなった。東京都心の風景には今は憎悪に近い感情を抱いている。

それから秋津駅に戻りオリオン書房を冷やかす。電車にのって小手指まで行き、散歩しながらアパートまで帰る。途中ブックオフに寄り、『バイオレンスジャック』の全巻揃を発見したので買う。重い。

最近思うのだが、休みの日はせっかく時間があるから本を沢山読もう、とか朝のうちは思っているにもかかわらず、結局時間をもてあまして何かに集中して取り組むことも無く、ダラダラとすごし、むしろ平日労働を終えたあとのわずかな時間に達成できることすらもやり遂げられないことが多いと気づいた。私は自分の本性はニートだと思っているが、今現在はニートでないからこそその頃より多少とも生産的なのかもしれない。だからといって毎日会社に行くことが精神に活力を与えているとも思わないし、働かなくてすむならすぐにでも会社をバックれたく願っているが、あくまで私個人の怠惰さに歯止めをかけるという意味では、自己活動としては完全に無駄な出勤時間も、自己活動に対して完全に悪だというわけでもなさそうだと思う。あくまで私個人の怠惰さに関しては。労働そのものは人類的な目標として撲滅していかねばならないものだと思う。もちろんどうしても労働せねばならない領域は残るかもしれないし、何をもって労働とみなすかという考え方自体が変化していくこともあるだろうが、対価だけのための無意味な作業は誰がどう考えても消滅すべきだ。公共事業と称して穴を掘ったり埋めたりする作業に給料を出すくらいなら給付のみでよいはずである。