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hkmaroのブログ

読書の感想など

五月十五日 ショウペンハウエル『知性について』を読んだこと

五月十五日。雨。昼飯は弁当、夜はレトルトのビーフシチュー。

知性について 他四篇 (岩波文庫)

知性について 他四篇 (岩波文庫)

ショウペンハウエルの『知性について』を読む。知性とは、彼によれば、人間の動物的な意志に奉仕する道具みたいなものであり、所詮腹を満たしたりセックスをするために役立つヒトに特殊な機能に過ぎず、その限界が人間の認識の限界でもあるのだが、しかし人間はその辺の動物と違ってはるかに高度な意志(=動物的欲求)を持ちうるから、それに合わせて知性にも大きな発達の余地がある。ゆえに、知性には、意志に単純に奉仕する以上のある種の「遊び」が設定されている。この「遊び」を自己目的的に放恣に行うのが天才である、ということになろう。天才についてのショウペンハウエルの思弁は、現実に疎外された読者の心を大いに救うだろう。君が世の中に受け入れられないのは、君が劣っているからではなくて、むしろ逆に君が天才だからなのだ、という心地よい逆説を読者に与えてくれることであろう。あまり知られていないかもしれないが、というか私はショウペンハウエルを読むまで知らなかったが、彼は生きていた頃ほとんど埋もれた天才であったらしい。晩年には名声を獲得したらしいのだが、しかし彼の知性がもっとも鋭敏(という風に本人が述べている)で「主著」まで書き上げてしまった青年時代にはほとんど無名であり、なんかヘーゲルと哲学講義バトルみたいなものをして負けて、鬱屈した半生を送ったのらしい。ヘーゲルやその他観念論者への憎悪だとか、天才は生きているうちに名声を獲得しないのだ、などと述べているところには、彼自身の人生や世間への憎しみみたいなものが大きく影響していると思われる。しかし、ショウペンハウエルが偉いのは、リア充どもへの憎しみの言葉のみをオナニー的に書き連ねているのではなく、彼自身何ヶ国語も操ったりあらゆる学識にも通じた碩学でありながら、自分の著書においては「本なんか読んで知識をためる暇があったら思索しろ」と説くような正真正銘の天才であったところだろう。このようなショウペンハウエルの反時代的天才性がニーチェに与えた影響には、計り知れないものがあると思われる。ニーチェ自身、この反時代的天才性を体現して人生を終えた。マルクスに対するフォイエルバッハの影響と似たようなものを、ニーチェに対するショウペンハウエルの影響に、私は見出す。唯物的であることと実存的であることの共通点とは、両者ともに個物的であるということだろう。歴史を超える普遍性とは、合理的思考を克服したところに逆説的に表れるのかもしれない。