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hkmaroのブログ

読書の感想など

四月二十八日

四月二十八日。晴れ。昼飯はコンビニのおにぎりとパン。夜は川越に行ってハンバーグを食す。

引き続き『リベラル・コミュニタリアン論争』。こういう本を読むのにはやはり一二週間くらいはかかりそうだ。時間を切り売りせずにすむクリエーター階級がねたましい。彼らは知的活動・自己活動がそのまま仕事でもあるから、平たく言えば好きなことやって金をもらっているわけであり、つまり遊んで暮らしているのと同じであって時間がたっぷりあるから、こういう重い本でもさくっと読めるのだろう。身分の差を強く感じる。許しがたいと思う。

マッキンタイアの思想に非常に惹かれるものを感じる。彼の思想には私が日ごろ考えていることと近い認識だとか問題設定があるような気がする。例えばホメロス的世界という考え方は、「このホメロス的世界においては、個人は、明確に定義され高度に決定された社会構造のなかでかれらが占めている地位によって、固定した役割や身分をもつとみなされていた」というものなのだが、私が原初的で自足的な共同体における個人の職業的使命みたいなものとして思い描いているものと非常に近い気がする。また、実践の概念も大変興味深い。マッキンタイアにとってはチェスすらも徳の実践である。彼の実践概念においては、その活動が遊びであるか仕事であるかというような区別は意味を成さない。個々の諸活動における活動の洗練過程と、それとセットになる論理的批評過程が弁証法的に人間の善の観念を拡張していく。例えばラノベを読みまくることも温泉に入りまくることもそれを真剣にやることによって徳の実践となり得る。私もやはり同様の過程を個々の諸活動が経ていくことによりそれ固有のイデオロギーが強固に作られることを目的とするべきだと思っているが、しかし相違しそうなのは、例えばラノベを読み書きしまくることにより作り上げられるラノベの常識がロリコンや近親相姦を美化し得るのに対して、マッキンタイア的実践においては批評の過程でそうしたロリコンや近親相姦は排除されるべきだということになるであろうという点だ。とりわけ個人が生まれながらに共同体の歴史やエートスを背負った存在である考え方からすると、そこから出てくる判断基準がロリコンや近親相姦に優先しなくてはならない。そして、いかなる共同体においてもその内部におけるロリコンおよび近親相姦は共同体の掟によって禁じられるか、禁じられなかった場合でもおのずからロリコン野郎・近親相姦野郎の共同体からの排除か共同体自身の破壊を促してしまうであろう。

帰宅して発泡酒を飲んだが、三分の一も飲みきらないうちに眠くなって寝た。