hkmaroのブログ

読書の感想など

四月二十四日

四月二十四日。晴れ。暑い。東京は25℃。大分では30℃を超えたという。前日食いすぎて食欲がなく、昼はコンビニのおにぎりだけ。夜は深夜一時に帰宅してレトルトハヤシライスを食った。

思考の三本の柱。読書、記録、俗世間への判断。これらは同時並行的に常に行わなければならない。

文学の身体性について考える。テリー・イーグルトンの本を読んでいると、文学の言葉が身体に直接作用すると考えられていた時代もあったのだというようなことが書いてある。しかもそれが「伝統」文学の役割であったという。東浩紀は『動ポモ』で動物化したオタクたちの身体的なアニメ・マンガ・ゲーム受容の仕方をポストモダン的現象として述べたが、読解の身体性という意味では伝統文学もラノベも変わらない。ポストモダンというような時代区分がありうるとするなら、そういう時代では、ひとつの共同体内部において複数の身体性が同時に存在しうることのほうが不思議なのではないか。しかもそれが共同体の崩壊をただちには意味しない。ということは、ある共同体によって構成された一人の人間の中に複数の身体感覚=美的感覚が存在するということになる。この分裂こそが「伝統」的なものの恐れるべき敵なのではないか。しかし、一人の人間の中に多様な感覚が存在しうることは可能性でもある。「絶対感情」や、「分割=共有の倫理」への可能性。