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hkmaroのブログ

読書の感想など

四月二十二日 藤原斎というラノベ批評家

四月二十二日。昼はコンビニのおにぎりとパンを食い、夜はすたどん屋のミニすたカレーを食おうと思ったら、券買って十分位したらカレーを切らしたとか店員が言ってきて、どうせならすぐ言ってほしかったと思いつつミニすた丼に変更した。五十円返ってきた。

藤原斎の「ファクトリー文学論」読んだ。ネット上からは何故か消されてるので、宇野常寛の昔のサイト読みたいときにも重宝するウェブアーカイバーで読んだ。

ネット・紙問わず、ラノベ「論壇」の数ある言説の中でも間違いなくもっとも信用できる論者なのだが、この評論は正直いまいちだった。ファクトリー力、とか、ファクトリー化、とかあらためて名付けなくても、プロダクションの力、とか、レーベルの圧力、とか、商業主義、とか、従来から(主に音楽業界で)使われてきた用語は数多あるわけであり、要するにラノベ作家たちは読まれるためには外部から商業主義的指導を受けるか、あるいは商業主義を内面化するしかないと同時に、そこに作家の苦悩があったり読まれてうれしかったり読んで面白かったりというラノベの特徴がある、という話なわけで、このようにファクトリーなる用語を導入せずとも済む話だし、第一このような問題を知的に考えていくにあたって資本主義だとか経済の仕組みそのものをどう評価していくべきなのかについての言葉が出てこないのがおかしい。あえて封印したのかも知れないが、そうだとしても実質的には資本主義下における娯楽・芸術・サブカルチャーの問題を扱っているわけなのだから、もっと社会全体に適用できる大きな理論が出てこないと変だし、出すべきだったと思う。事実、<商業主義=ファクトリー力>はラノベに限らずこの社会全体のあらゆる商品をある法則や圧力で支配している。それこそファクトリーで生産される商品も。とはいえ具体的な作家の苦悩をあとがきなどに読み込んでいく手際は見事であり、作品内部と作品外部を自在に行き来する社会学的視点はやはり大変稀有な才能を感じる。これを書いた藤原斎は、実際の年齢は知らないがおそらくまだかなり若い論者であり、将来本屋とかで名前を見るのを一消費者として今から楽しみにしている。

ところで彼は東京大学の文芸サークルである新月お茶の会のOBか部員かであるようで、サークルのホームページにも名前が載っているのだが、そのサイトの「新月お茶の会とは?」と書かれたボタンをクリックすると以下の文言に出会う。

 活動範囲は文芸サークルではかなり幅広い部類に入るでしょう。『このミステリーがすごい!』『このライトノベルがすごい!』には創刊当初から毎回協力し、「週刊文春ミステリーベストテン」への投票、『このマンガがすごい!』への協力など学外団体との関わりも多くあります。

つまり豚どものイデオロギー形成に大きな影響を与えうる特権的なポジションに位置する集団なのである。影から業界を操作するこの暗躍ぶりは、まるで政治における官僚組織のようであり、東大はサブカルの分野においてまでも「官僚育成」の機能を存分に発揮しているのであった! という妄想はおいとくにしろ、このような本の出版への「協力」によるオタク世論形成が、文化庁ナントカカントカ賞の受賞作品選択に影響を与えるということは十分ありえる話だし、そしたらそういう賞をなんとしても受賞したい企業人が色々いい話をもってきてくれるということもまったくありえない話でもないだろう。ほんとのところどうなのかは新月お茶の会の人々に聞いてみないとわからないが、とはいえまあ、もしそういうことがあり得るとしたら学生サークルに頼んだりなどという回りくどいことはせずに直接ムック作ってる出版社に金を積むだろうから変な癒着とかはないのかもしれない。