読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

hkmaroのブログ

読書の感想など

宮台真司のブログが更新されていて、週間読書人で大塚英志と一緒に吉本隆明の追悼対談をしたと書いてあったので、どんなチンピラぶりを発揮するのだろうかと思ったら「自立思想」について述べているようだったので買ってみようと思って書店で手に取ったのだが、ついでだから気になっていた『愚民社会』も買った。対談本なのだけど、対談本を買って以前人にバカにされたことがある。確かに対談本は論理的に一貫しておらず、ちゃんとした「教授」「知識人」ですらトンデモな放談に終始していることも珍しくないように思うが、対談本を知的なソースとして利用しようとするのがそもそもの間違いだと思う。対談本は擬似的にお喋りを楽しめる消費物であり、知的な娯楽である。まあ、その娯楽が読者層のある種の合意や常識を形成する側面もあろうが、基本的にマンガでも読むかのごとく楽しく読むことができるのが対談本である。対談本を批判するならマンガも全部捨てるべきだ。

今現在は結構まじめに『涼宮ハルヒ』シリーズを読み直していて、現役でハードコアなラノベオタだった大学生時代(一日一冊学校帰りに高田馬場の芳林堂でラノベを買っていた)には全く気付かなかったような先見性を確認して驚愕している。ハルヒはマジですごい。谷川先生はマジで神。神というか、天才というか、真の天才であり真の作家である。作家といったら谷川流、と言っても良い過ぎではない。谷川流に比べたら田中ロミオでさえも作家とは言えないとすら思う。革命力で言ったら270くらいある。誰も指摘していないみたいなんだけど、ハルヒのキャラ配置は明らかにフロイトの夢判断の影響を受けているし、実際にキョンは一巻からしてフロイトの夢判断に言及すらする。なのに今までハルヒフロイトの関係について論じた文章を見たことがない。私の調査不足という可能性も大いにあるが、それにしたってこれほどまでにあからさまに提示してあるのだから、ハルヒフロイトをセットで語ることが常識となっていてもおかしくないはずだ。ハルヒは夢の中で活動する無意識であり、キョンはそれの手綱を握り抑圧する意識であり、この夢を見ているのは読者(ないし作家)である、という仕組みが、大雑把に言えば存在する。古泉が、自分達は誰かの書いた物語のキャラなのでは、などというメタ発言をするのにはちゃんとした理由があって、それは単にハルヒメタフィクション・メタラノベ的な構造を持っているからだけではなく、この物語がフロイトの夢理論に立脚した夢=空想の世界だからなのである(フロイトは昼間の夢と夜の夢を区別しなかった)。それと、文体についても考えさせられる。他のラノベと比べると明らかにラノベ的ではなく、一文が長く、改行も比較的少なく、変な比喩が多く、好事家的固有名詞やウンチクが頻発し(SF・ミステリはもちろん、映画、ロック、哲学など多岐にわたる)、しかも語彙も一般的な中高生の知識の範囲を超えている。そうしたラノベがまるで「ラノベの王様」みたいな感じで受容されていることが驚きで、実はラノベがライトな文体を持っていなくてはならない、というイデオロギーはハルヒ一つでもって軽く粉砕できるのではないかと思っている。むろん、これは特殊ハルヒ的な事情に過ぎず、ラノベ全体の問題として一般化はできないのかもしれないし、新城カズマみたいに「ラノベよりもデュマの文章のほうがライトだ!」みたいな外面的で軽薄な言説を肯定する論理となってしまいかねないのだが、文章のライトさとラノベの結びつきを解体できれば、文体としてはへヴィなライトノベルというものも構想することができ、これは常々私が小説の理想形として夢想するものでもあるので、『ハルヒ』の秘める可能性は極めて莫大である。

そういうことを真剣に考えながら『ハルヒ』を読み直しているのだけど、『ハルヒ』と谷川流の天才性に比較すると宮台と大塚の『愚民社会』の対談などはなんだかやたら牧歌的な床屋談義で、非常に気を抜いてリラックスして読める。しかも大塚英志はかなりいかっていて、「土人」「土人」と連呼する。チャラチャラしていた『物語消費論』時代からすると非常に厭世主義化しているように見えて、その落差をエンタメ的に消費できて楽しい。あんなに適当ぶっこいてブイブイ言わしていた若手「マーケッター」が、いまや世相を嘆き、昼のワイドショーレベルでタレント「知識人」や「土人」の批判をするのである。これがいわゆる、メシがうまい、という感覚なのだろうか。そしてそれらが知的な固有名詞で包まれているのも重要で、読む人の自意識を「俺はバカじゃない」という幻想にまるめこむことができ、読んでも恥ずかしくない床屋談義となっている。芸術的意図を持つということで低俗さを免除された(ことになっている)ヌード写真集みたいなものだ。

とはいえ対談本という知的な娯楽はタレント達のキャラ作りにおいて重要な役割を担っていると思われ、タレント達のキャラこそが知への入り口として大きく機能しているわが国においては、やはり手厚く保存していくべき書籍ジャンルだろうと思う。それとも保護するまでもなく理論的単著よりも対談本のほうがお手軽に作れてなおかつ売れるだろうから保護などいらないのかも知れない。