hkmaroのブログ

読書の感想など

『ウルトラマン妹』小林雄次 感想

ウルトラマン妹 (スマッシュ文庫)

ウルトラマン妹 (スマッシュ文庫)

 公式がまさかの展開!? 円谷プロ監修で贈る前代未聞の美少女ウルトラマン。
 兄想いだった妹・月島あかりが、怪獣に襲われて瀕死の重傷!?……と思ったら、ウルトラマンと一心同体になって大復活! 中学2年でいきなりウルトラ戦士となったあかりは、地球侵略を企む凶悪な宇宙人から、我々の地球を守りきれるのか!?

ウルトラマンだからと言って差別せずにライトノベルとしてこれを読んだ場合、『鳩子さんとラブコメ』と似た類の問題が浮上する。すなわち美学の問題である。この小説に徹底的に欠けているのは美学であって、それは特に妹の美学だ。

しかし、大半の読者はこの小説に対して妹の描写のみならずウルトラマンの描写をも期待したであろう。あるいは、妹とウルトラマンという二つの美学をどう融合させ、どんな「ウルトラマン妹」という新しい美学を生むのかに大きな期待をかけたはずだ。そしてそれを煽るかのように二ヶ月前から熱心な宣伝が打たれてもいた。 

だがそんな期待とは無関係に、著者は以下のようにあとがきで述べる。いけしゃあしゃあと。

 まずプロットを書いて円谷プロさんにチェックしていただく段階で、「待った」がかかると思っていました。だから、編集者Mさんから「円谷プロさんからOKが出ました」とご連絡をいただいた時は、慌てふためきました。「とりあえず冒頭部分だけ執筆したものを読ませてください」とのこと。そこで私は考えました。きっと冒頭部分を読んだら、「これはウルトラマンではない」、もしくは「これはライトノベルではない」という理由で「待った」がかかるに違いない、と。

「これはウルトラマンではない」とは、すなわちウルトラマンの美学を有しない小説だということを意味し、また「これはライトノベルではない」とは、すなわちライトノベルの美学(とりわけ妹の美学)を有しない小説だということを意味する。そして作者は、それを自分で知っていながらわざわざライトノベルのレーベルからラノベの美学を持たない非ライトノベルを出版したというわけだ。これはこの小説が面白いかどうかという話以前の問題であって、ライトノベル共同体の歴史性や共時性を侮った、いかにも「舐めた」態度であると言わねばならない。

おそらく著者の言い訳としては、第一に、あとがきにも書いてあるようにライトノベルの出版社側から請われて書いたのだから著者自身はクライアントの要求に応えた迄で、レーベル側がよしとしたならこれも立派なラノベでありラノベの美学には何ら反しないはずだ、ということと、第二に「ウルトラマン」というイメージを管理する円谷プロから許可を得られたのだから結果的にウルトラマンの美学に何ら抵触してはいないはずだ、ということを主張したいはずである。だが、実際はラノベレーベルが即ラノベ共同体およびその美学と等号で結ばれるはずがないし、円谷プロに関しても同様である。出版社も円谷プロも、単なる資本だ。しかも著者は他のウルトラマンシリーズの脚本をつとめた人間でもあり、むしろ円谷プロ側に近いわけであり、ギョーカイ由来のくだらぬ温情で今回の出版が成り立っている側面が全然ないとは言えないだろう。しかもレーベル側から円谷プロへのキャラクター使用料に類する色々なカネが流れている可能性が高いことを思えば、美学どうこうという問題は吹き飛んでしまいかねない。というか、吹き飛んでしまったからこそ美学のない、妹の何たるかがまるでわかっていない、ウルトラマンのなんたるかをまるで無視した、大量の資源ゴミが流通しているわけで、こんな茶番めいた事態を引き起こしたのは二つの資本のカネへの欲望に他ならない。

こんな茶番の中で出版される小説が文化的価値を持つためには、あたらしい美学がその中で創造されていなければならない。そして著者はそれがこの本においてできたのだと傲慢にも言い放つ。

ですが、自信を持って言えるのは、これは本来の実写ウルトラシリーズでは表現できない新たなウルトラワールドだということです。

この言葉の真偽は歴史がじきに明らかにする。だが、妹もウルトラマンも存在しないところに、どのような「ウルトラマン妹」あるいは「新たなウルトラワールド」が存在し得るだろうか。革命力0