hkmaroのブログ

読書の感想など

今日突如これまでにないほどの会社への嫌悪を覚え、一刻も早く会社を辞めなくてはならないと思った。もしかすると転職先が決まらないまま会社を辞めるかもしれない。そうなると間違いなくホームレス一直線なのでぜひとも転職先を確保してから辞めたいのだが、かといって簡単に転職先が見つかるわけでもない。ネットのハローワークやなんかで求人情報を探すのだが、求人票を出してる会社の名前でググってみると大体社風がわかり、「こんな会社に入っても絶対になじめないだろうな」、というのがはじめからわかってしまう。それはそれでよい。自分にあった社風の会社を探し出して応募すればよいだけなのだ。しかし自分にあう社風を持つ会社が求人票を出していないか、あるいはそもそもそのような会社がこの世に存在していないかもしれないことが問題である。あるいは会社に食わしてもらうという発想がまるでだめなのかもしれない。かもしれない、ではなくてまるでだめなのだ。誰かに食わしてもらわずに、消費者に食わしてもらう、つまり社会に、世間様に食わしてもらうという発想でなければ、人は結局自立できない。どんなに一流のエリートサラリーマンであろうと、その自立度で言えば、河原芸人に劣る。であれば私も会社を即辞めて、何か世のため人のためになるような個人消費を対象とした商売を始めねばならないのだが、そのタネがない。このタネを持つ人は自立した人間として私は認める。どんなに卑しい職だろうと、身一つで商売をしている人は偉大だと思う。厳密に言って裸一貫で商売など始められないのだから「自立」などというものは幻想だとも言えるのだが、そう言ったところで、たとえばラーメン屋の大将とエリート銀行マンのどちらを応援するのかと問われたら余裕で大将を応援するに決まっている。

労働と行為の区別というか、その区別のつかなさについて最近はよく考えている。情熱的な行為の人、自分のしていることが自分の運命なのだと信じて疑わない人は、それを労働として行おうという意識は少ないだろうと思われる。たとえば最近読んでいる大里俊晴著『マイナー音楽のために』という本では大里が影響を受けた間章という音楽批評家について沢山言及してあるのだが、その間章という人物は大学を中退して音楽批評を雑誌に書いたり、前衛ジャズのライブイベントなどをプロデュースしたり、あるいはヨーロッパに渡って前衛ミュージシャンとのコネを作って日本に招聘したり、ものすごい行動力の持ち主だったことがわかるわけなのだが、しかしこの行動は、単に<行動力のある理屈っぽい前衛ジャズ好き>には決してなしえなかった「仕事」だろうと思う。おそらくこの人も前衛とかジャズとか哲学とか批評とかが好きでたまらず、自然にその情熱の表現として文章を書いたりミュージシャン集めてライブイベント打ったりしていただけなのではないかと、私は勝手にイメージしている。つまり、行動力というよりもどんだけ対象を運命的に愛しているかが大事なのではないかと思っている。で、おおむね人間とはそういうものなのではないかと思っている。やりたいことをやりたいようにやっているうちに、なんとなくそれが経済の下部構造に落とし込まれて「仕事」化していくというのが人間の人間らしいありかたなのではないか。逆に労働のほうが人間を引き寄せて、労働に最適化された人間を作り出すような場合(仕事をしているうちにそれが生きがいになる!)であるとか、より端的に人間を手段化・資材化する場合(工場労働や臓器売買)には、そこに間違いなく疎外があるといえると思う。共同体内の必然的な分業体制下におけるカースト制的役割分担は、その中間形態と言えなくもない。しかし<やりたいこと=運命>のかわりに<与えられた役割=使命>が代入されるからには、人間の手段化からは無限の隔たりがあると言わなければならない。

やりたいことをやり続けているうちに自然に「仕事」になる、というコースを経るために何が必要なのだろうか。たぶんそれで「仕事」になって食えている人はものすごく少ないし、食えている人のうちでも多くの割合が実家住まいだったり実家が金持ちだったりするだろうと思う。しかしやりたいことを「仕事」にできない人は共同体の自己完結性がどんどん失われている今日では「やりがい」の項に<使命>を代入することはできず、手段的で資材的な存在として、つまり文字通りの奴隷として生きていくほかない。現代人は生きがいだとか幸せの基準において勝ち組になるためにはやりたいことを「仕事」にするしかない。金持ちの人生は仕事のむなしさを埋め合わせるための金に頼ったさびしい人生だ。つまり、現代で一番勝ち組なのはやりたいことをやって生きている人であり、その次に勝っているのがやりたくないことをやってその代わり金を沢山持っている人であり、負けているのはやりたくないことをやってなおかつ金を持ってない人である。