hkmaroのブログ

読書の感想など

最近の読書についての反省

最近は積読がたまっていく一方なので、これを崩していくことに決めた。今月は積読消化月間にする。

目標は月30冊を読むことだ。しかし、単純計算して一日一冊というペースは、実は結構達成するのは難しく、鈴木邦男などはこれを達成するために図書館で新書を何冊も読む日があるという。

しかも同じ一冊といえどもラノベの一冊と哲学書の一冊はかかる時間も内容の密度もまるで違う。実際私はいまパウル・ティリッヒの『諸学の体系』を読んでいるが、もうこの本に1ヶ月くらいかけている。一度最後まで読み終えたのだが、内容が難しく理解したかどうか不安なので現在二週目だ。だが、二回読む程度には頑張って取り組んでいるにも関わらず、哲学書に首っ引きというわけにもいかないのが不思議なことで、哲学書を読むのに適した脳の部位は、哲学書を一時やめてラノベをしばらく読んでいると、疲れが回復するようだ。なので、この『諸学の体系』を読んでいる間はラノベと哲学書を平行して読んでいた。哲学書を読むのに1ヶ月かかるのに、ラノベ一冊を読むのには三時間で足りる。まあ、哲学書のほうは1ヶ月とは言っても毎日それにかけた時間は多く見積もっても一時間半くらいだから、多分40時間位が正味の時間だろう。それでもラノベとページ数は同じくらいなので、ページあたりの所要時間は十数倍ということになる。(そもそもラノベあるいは小説全般を読書の範疇に含めるべきではないという意見も有力だ。)

よって月30冊を達成するためには、どうやって時間を確保するかではなく、むしろどの本をどのくらいの割合読むかを考えねばならない。哲学書は月一冊でも多すぎる。哲学書に関してはかなり長い時間をかけて取り組むつもりでいたほうが良さそうだ。それに対して小説は、長いものでなければ一日一冊読めるだろう。問題なのは多少難しい本になると一日一冊読めないことであって、1冊/日を割る本と、1冊/日を超えられる本の違いを見極めて、うまくブレンドすることが重要だ。

一日一冊がどうとかいう発想は、一見ケチでくだらない形式主義にみえるかもしれないが、積読がいっぱいあるということは、もし不慮の事故などで急に死んだ場合、読みたかったのに読めなかった本が大量に存在するということであり、これは人生におけるやりのこしを沢山残すことに他ならない。このやりのこしを怖がる態度自体批判の対象となりうるが、ある程度自己の理想の姿を思い描くことのできる普通の人間であったら、やりのこしは恐怖である。それは理想自己と現実自己との間の乖離をこの上なく表現する。

とはいえやりのこしはどう頑張っても残るものだとも思う。やりのこしを崩していく運動を常に行ってやめないことが、もしかしたら充実した人生の秘訣かもしれないと思うが、これはこれで詭弁じみている。