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読書の感想など

『マージナル・オペレーション 01』芝村裕吏 感想



マージナル・オペレーション 01 (星海社FICTIONS)

マージナル・オペレーション 01 (星海社FICTIONS)

30歳のルーキー、戦場に立つ!
30歳のニート、アラタが選んだ新しい仕事(オペレーション)、それは民間軍事会社──つまり、傭兵だった。住み慣れたTOKYOを遠く離れた中央アジアの地で、秘められていた軍事的才能を開花させていくアラタ。しかし、点数稼ぎを優先させた判断で、ひとつの村を滅ぼしてしまう。
モニターの向こう側で生身の人間が血を流す本物の戦場で、傷を乗り越えたアラタが下した決断とは──? 
ガンパレード・マーチ』の芝村裕吏が贈る、新たな戦いの叙事詩(マーチ)が、今はじまる!

若干ネタバレ気味ですので、これから読む予定の人は気をつけてください>
30歳のニートのが戦場で活躍する話、ということになっているが、実は主人公のアラタは30歳時点でニートではなく、単に三年努めた会社が倒産して失業していただけである。本の紹介文には偽りがあるので、購入を検討されている人は注意した方がよい。特に、リアルニート30歳の人がこの本を励みにしようと思って手にとったら裏切られた気持ちがするだろう。「30歳ニート」よりも「30歳ニート」という風に言っちゃったほうが消費者の興味を集められるだろうから、無理やりそういうことにしたのだろう。それか星海社の人間が出版する本の内容も知らずに紹介文をでっちあげたのか、どっちかだ。いずれにしろ、酷い商売根性をしていることに変わりはない。

話の大筋は、平凡なヌルオタ日本人青年が民間軍事会社に就職して自分でも知らなかった才能を開花させて活躍する、というものなのだが、特に主人公は戦況の分析や作戦立案の能力に優れていて、言わば孔明みたいなものだ。主人公自身は武器を扱ったりはほとんどしない。そういう意味では『うたわれるもの』とか『レンタルマギカ』に似ている。

で、これまあ題材がリアルな戦争だというところはいいんだけど、そのリアルな戦争の過酷さの中で主人公のイージーモード的環境が保存されているというところが最大の問題だ。主人公は類まれな能力を発揮してどんどん出世していく、のみならず出会う人間みんなから褒められ、優しくされ、特に女からは好意を寄せられる。そんなアホな話はない。主人公のアラタは傭兵になってからオタク趣味をやめてしまうのだが、それは以下のような気持ちになったからだ。

 戦争とは無関係な非戦闘人員を殺したかも知れないと日常的に考えていると、他の事はかなりどうでもよくなる。
 当たり前の話なのだが、そういう境遇になるまでの僕は、それを予想する想像力に欠けていた。
 
 元はフィギアやアニメという、ささやかな趣味を守りつつ、生活のためにこの業界に入ったのだが、その趣味が、急にどうでもよくなった。
 正確には、趣味が魅力的に思えなくなった。本末転倒な話だ。でも、普通の話だと思う。自分は無害だと思っているから、人は無邪気に遊んでいられる。
 自分が有害だと思い始めたら、もう、無邪気ではいられない。作品を素直に見るのも無理だ。

こうした自己批判的感傷にとらわれ、オタク趣味をやめたにも関わらず、作品が描くのは徹頭徹尾ラノベ的でオタク的な文法にのっとったストーリーである。自分の高い能力に無自覚な主人公。これは最近流行のオンライン系の小説によく見られる特徴で、『アクセル・ワールド』や『ソードアート・オンライン』や『魔法科高校の劣等生』などにも顕著な特徴だ。それに加えて主人公は、異性からの好意にも徹底的に鈍感だ。言うまでもなくこの主人公の性質は、エロゲーやライトノベルが繰り返し繰り返し描いてきた主人公像の類型であり、この『マージナル・オペレーション 01』は、リアルな戦争とオタク趣味を対比して後者を斥けているにもかかわらず、オタク的なイージーな秩序に依存しまくっているのである。

「『ガンパレード・マーチ』の芝村裕吏が」小説を出すのは良い。大変結構なことだ。だが、『ガンパレード・マーチ』の芝村裕吏と書くからには、読者はゲーム作家としてのあの芝村裕吏が描く小説に期待しているのであるし、本を売り出す側も読者にそれを期待させて部数を伸ばそうとするわけだ。そうであるなら、商品としてあの芝村裕吏が描いたと確かに確認できる内実を備えていなければならない。

で、実際のところどうだったのかというと、いわゆるライトノベルの枠を超えることはほとんどできていない。確かに戦争の描写や民間軍事会社の描写などは普通の文庫サイズのラノベレーベルから出てるラノベにはあまりないものかもしれない。しかし、そんなもんはネタの相違でしかなく、瑣末な問題に過ぎない。現実っぽい戦場を描こうが、吸血鬼同士のバトルを描こうが、リアルなものはリアルだし、安易なものは安易である。『マージナル・オペレーション』は、そういう意味で本質的なリアルさを追求すべきだったのではないか。そうでなくとも、ラノベのイージーさに一石を投じる小説であるべきだったのではないか。

もともとそんな出版意図はない、などという言い訳はできない。なぜなら、「『ガンパレード・マーチ』の芝村裕吏が贈る」のだと宣伝しているからだ。普通のラノベじゃねえんだぜ、と言っておきながら、結局は普通のラノベでしかない小説を売り出したら、想像できる読者がとるであろう反応はかなり限られてくる。

豚ラノベの権化として最近批判の槍玉にあげられることが多い『僕は友達が少ない』ですら、その七巻において主人公の「鈍感」を問題化しはじめた現在、ラノベ業界の外から人を引っ張ってきて<一味違うラノベ>とでも言えるような特殊なラインナップで営業している星界社が、このような安易で豚まっしぐらのラノベを出版してしまったことは、星海社の根本的な意識の低さを露呈させる。結局彼らは、スノッブ気取りでちょっとサブカル入った中二病のオタクから搾取しているだけなわけだ。その低い志が、この芝村裕吏の新作に如実に表れてしまったよね。

だが、私がこの本において最も引っかかりを憶えた箇所は、実はあとがきの文章である。

 書いた期間は1ヶ月、作業日数20日ほど。がんばればもう少し短くなるとは思いますが、それより品質をあげたい今日この頃です。
 執筆はiPadでやりました。というのも、郷里に帰省している最中に企画が通り、他に筆記用具がなかったからiPadでやったんですが、意外にいけました。
 一日6000文字から8000文字で進行しております。
 が、同業者にこの話をすると、変態扱いされます。
 iPad連想変換しかないので、ちゃんとした小説家には受けが悪いのだそうです。

この箇所が、誰がどう見ても自慢でしかないのは言うまでもないが、恐ろしいのは「が、同業者にこの話をすると、変態扱いされます」という一文である。小説本文中に、主人公であるアラタがその能力が高すぎて周囲の傭兵から「クレイジー」だと言われ、けなされたと思い込むシーンがあるのだが、これはそっくりそのまま芝村がアラタ的「クレイジー」をトレースしてしまっているということなのではないか。だが、これをわざわざあとがきに書き込む芝村本人が「鈍感」だということはあり得ない。本当に鈍感だったらあとがきにそんな話は書かないだろう。つまり、芝村は「変態扱い」が実は自分のすごい能力の証として機能しうることを知りながら、それに気付いていないふりをして「変態扱いされます」などとのたまい、あたかもナチュラルに無自覚に高い能力を発揮してしまう天才的な自分が存在するかのように演出しているのである、と、私は推測する。

しかしその芝村が、少なくともラノベの分野では、天才であるということはあり得ない。天才だったらライトノベルの概念を再創造するような歴史的なラノベを書いているはずだからだ。だが、この小説がともすれば「戦場」を描いているだとか、「リアル」だ、とかいう風に評価され広まってしまいかねない短絡的な危うさが、ラノベ界ひいてはオタク界に存在する。こうしたものに免疫をつけるためにも、既にレビューした『武装中学生』のような作風の小説はもっと多くても良いのではないかと思う。革命力0。