hkmaroのブログ

読書の感想など

第十四回文学フリマ参加の予定、ARE第4号

私ことhkmaroが研究員をしている中島総研は、手続き的な問題が発生しない限り第十四回文学フリマにサークル参加する。その際は、機関紙である「ARE」の新刊を持っていってこれを頒布する予定であり、今回の当ブログの更新はそれの告知を主たる目的とするものである。

文学フリマは下記の時日に開催される。

開催日:2012年5月6日(日)

開催時間:11:00〜16:00

会場:東京流通センター 第二展示場(E・Fホール)

今日は2月29日であって、まだ二ヶ月強も先のことを告知してもあまり意味がないかもしれないが、今回の告知には早期に宣言めいたものを発表することによって研究員自らを律しようという目的もある。

さて、次号の機関紙の内容だが、毎度ライトノベルのレビューや批評は行ってきたものの、今回はライトノベル大特集号を作る。概ね次のような特集をする予定だ。

・作家論(十文字青杉井光平坂読橋本紡、など)
・研究員ガクショウによる新連載(長編ライトノベル評論)
・分量増大骨太ライトノベルレビュー

我々は徹底的にライトノベルを読む。それは、発売される全てのライトノベルを読むことでもなければ、資料としてライトノベルを読むことでもない。もちろんそれらはそれ自体重要な作業だとは思うが、読者たちがライトノベルを買い、読む、その理由とはまるで関係がない。読者は全てのライトノベルを読みたいわけでもなければ、資料としてライトノベルを読みたいわけでもない。我々はまず、徹底して一読者としてライトノベルを読む。我々の原稿は、その質は、我々自身がいかに誠実に切実に読者であったかにかかっている。つまり、如何に徹底して読者であったかにかかっている。それが、徹底的にライトノベルを読むということだ。

どの作品が面白いのかを知りたければ、アマゾンレビューを見ればよい。ほとんどあらゆる作品に対してどこかの誰かが感想を書いてくれている。それゆえ作品を網羅することは個々の人間のすべきことではない。

また逆に、ライトノベルの系譜学をやろうとしても、ライトノベルはその内容がアニメ・マンガ・ゲームの従属物であるという本質を持つゆえに、その系譜学は必然的にアニメ・マンガ・ゲームの系譜学にならざるを得ない。つまり、ライトノベルの系譜学はほぼ不可能であるか、可能だとしてもナンセンスである。

だがこの系譜学を可能にするのが、ライトノベルに自生的に発生したライトノベル批評である。自生的なライトノベル批評は、ライトノベルそのものをしか問題にしない。そしてそれをまず最初に可能にするのは、徹底的にライトノベルを読むこと以外にあり得ない。

徹底的にライトノベルを読む行為は、非ライトノベルライトノベルの比較や、自生的なライトノベル批評以外の諸手法によるライトノベル研究をひとまず完全に廃止する。ライトノベル批評が奇妙なこじつけに陥らないためにもそれは必要だ。例えば、「ドストエフスキーの小説もライトノベルである」というような恣意的な発言に対して我々は誰よりも禁欲的にならねばならない。また、既存の批評理論の正当性を担保するための体の良いサンプルケースとしてライトノベルを売り渡すようなことも断じてしない。つまり、あらゆる「上から目線」を我々は採用しない。我々は、個人個人の資質のみをもとにしてライトノベルを読むことを目標にする。

徹底する、という言葉がライトノベルのライトさを打ち消すように聞こえるかもしれないが、実際は真逆で、徹底してライトノベルを読むことは徹底してライトにライトノベルを読むことでもある。ゆえに、個々の作品のツッコミ所を挙げていって満足するようなケチで了見の狭い態度を我々は軽蔑する。

文学フリマ参加者の関心をどれだけ集めることができるかわからないが、手にとってくれたラノベ愛好者の予想の斜め上を行くような内容を、少なくとも志だけは目指したい。