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『だから少女はおもいでをたべる』七鳥未奏 感想

だから少女はおもいでをたべる (一迅社文庫)

だから少女はおもいでをたべる (一迅社文庫)

「わしは、おもいでをたべるまものじゃ」
郊外にひっそりと佇む街――霊戸路町。
駄菓子屋を営み、妹の幽霊と暮らす僕の前に現れたのは、ゴシックロリータに身を包んだひとりの少女だった。
忘れてしまった大事な「何か」を抱える僕たちと、居候することになった”まもの”を自称する少女の共同生活は、やがて優しくて残酷な真実へと辿りつく――。
七烏未奏がおくる、ハートフルファンタジー。

今週もhkmaroの<週末ライトノベル>の時間がやってまいりました。週末といってももう日曜日、つまり週が始まってしまっていますね。すいません。

今回とりあげるのは、一迅社文庫さんから出ております、『だから少女はおもいでをたべる』という小説です。作者は七鳥未奏さん、これは作者本人のあとがきによれば「ななうみ・そう」と読むようです。このかたはエロゲーの企画やシナリオライターをされている方のようで、エロスケなどで参加された作品のリストをみることができます。

とにかく最初に、購入を検討されているかたのために私の個人的なオススメ度を開示しておこうと思います。というのも、この記事をご覧になる方の大半は検索エンジンで書名を検索してこられるかたであろうからです。おそらくそういう方々の半分は読み終えたあとの人で、半分は未だ読んでおらず購入を検討している段階の人だろうと思います。

あとがきにこうあります。

 ……この作品に登場するメインヒロインとも呼べる二人は、その両方が(僕の脳内では)パイ○ンです。(中略)
 もし、この小説を読んで「不毛な時間を過ごしてしまった……」なんて思われた方がいましたら、どうか「無毛な時間を過ごしてしまった……」くらいに思い変えていただけると、作者冥利に尽きます(ドヤッ)

私個人の感想としては、これほど不毛な時間を過ごせるラノベは他にみあたらないだろうと思えるほどに不毛でした。無毛的な意味でも不毛だし、ラノベ本来の面白さについても不毛でした。まあ、ラノベを読む行為自体がそもそも不毛だという説もかなり有力なのですが、面白いラノベを読めば面白かったという快楽を得られる分まだ不毛度が低いと言えるのではないかと思います。

とはいえ、何を面白いと思うかは基本的には人それぞれだと言っておくのが無難だと私も思いますので、結局は読んでみないと面白いかどうかはわかりません。あくまで、私個人は不毛な時間を過ごしたと言っておくにとどめておきましょう。

ところが、この不毛な時間は、その活用の仕方さえ見出せれば全く不毛だとも言えない有益な時間として再発見することが可能になります。例えば、なぜこの小説が自分にとって不毛だったのか、ということを問うことによって、新しい発見が可能になるかもしれないのです。

<……ここから先はネタバレを多分含みますのでご注意ください……>

私はこの小説は完全にラノベとして失敗していると感じますが、その理由は「なぜ」の欠落にあります。なぜ、少女が主人公の家におしかけてくるのか。なぜ、幽霊の妹が主人公にだけは見えるのか。そのほかにもたくさんの謎がちりばめられていて、結局それは話の終盤あたりで謎解きされる構造になってはいるのですが、種明かしを一気にやりすぎであまりにも説明臭くなっています。しかも、種明かしを後生大事に終盤までとってあるものですから、それまでの過程で未確定の要素が多すぎて、説明なしで猫耳娘とかメイドとか魔法少女とかが山ほど押しかけてくるよくある駄作ラノベの特徴をそのままトレースしてしまっています。

まあ、かく言う私はラノベの主要ターゲット層からもう十歳も離れた年のオッサンなわけであり、こうした指摘が全くの的外れで、メインターゲットの中高生男子たちにはこれでオッケーなのだ、と言われたらもはや返す言葉の勢いもなくなってしまうのですが、それはそれで中高生男子達の教育上あまりよくないのではないかと思わないでもないです。

あと、率直に憤ったのは舞台となる郊外の町の霊戸路(れとろ)町の設定および描写です。その名の通りレトロな雰囲気の残る郊外の町、ということになっているのですが、郊外という場所はそんなノスタルジーの生き残る余地を許さない、経済的には非常に過酷な場所のはずです。郊外でこそ高校生の主人公が経営する(!)ような駄菓子屋などは真っ先にクビになり、コンビニが代替機能を果たすのではないでしょうか。もしくは、郊外郊外と言い条作中ではこの霊戸路町は田舎だということになっているようなので、仮に霊戸路町がいわゆる郊外ではなく、郊外よりもさらに都市から離れた人口密度の低い田舎にあると仮定してみても、やっぱり田舎においてもそうしたレトロな雰囲気が残る余地はありません。なぜなら、過疎化の勢いがそれらを跡形もなく消し飛ばすからです。そして地方の行政は獲得したなけなしの予算で良く分らないハコモノや道路を作ることに余念がありません。こうして、広い道幅の立派な道路に、利用人数よりも職員の人数のほうが多いかもわからない立派な施設が建ち、大変近代的な田舎が誕生するのであります。おそらく、レトロな雰囲気を残せるのは、東京で言ったら中野とか杉並とか、あるいは台東区や葛飾区などの、都市部の旧郊外や下町だけではないでしょうか。

上記の郊外の設定に関しては、ラノベに対してこういう考証の欠如みたいなものを指摘することが完全に筋違いだということは、『あなたの街の都市伝鬼』を読んだときに痛感しましたので、そのそばから再び同じ轍を踏んでしまった私がアホ極まりないというだけなのですが、それにしてもこの『だから少女は』に関して感じる不毛さは、もっと別の部分に由来していると思われてなりません。それは、プロットのつまらなさです。いや、こう言うとどのプロットが面白いか面白くないかは個人の主観によるので語弊があるかと思いますが、この小説は世間で人気を獲得しているラノベが踏襲しているプロットのパターンに則っていないように思います。もちろん、人気ラノベのプロットに本当にパターンがあるのかという問題や、あるいは人気ラノベのプロットのパターンを使ったからといって面白くなるのか、もしくは、仮にそのパターンを踏襲して面白くなったとしても、それは縮小再生産にしかならないのではないか、という反対意見を想定することもできますが、私が言いたいのは、それをまねることによって「盗作」「パクリ」などという批判を受けなければならないような手法のことではありません。つまり、面白いラノベには「面白さの核」のようなものがあると考えているわけであります。これは当然ラノベに限らない話です。例えばドラゴンボールの何が面白いかと言ったら、主人公の悟空が超強い、というところが端的に言って面白いわけで、この悟空の強さを演出するために、物語の細部は演繹されているわけであります。また、最近アニメにもなった『パパのいうことを聞きなさい!』という作品では、主人公と美少女達が割とリアル目に生活する、ということが眼目としてあるわけです。これを描くために、やはり『パパ聞き』の細部は演繹されているように見受けられます。もちろん、なぜそのような「核」を、読者たちが「面白い」と思うのか、ということは一つの謎です。しかし、これが謎である限り、作家は読者との共同性を頼りにして、この「核」に関してだけは自分が「面白い」と思えるネタを仕込まなければならないはずであります。そしてそのネタの面白さを、読者にも共感させるために様々な細部を練りこむ、という過程を経なければならないはずだと私は思うのであります。

はっきり申し上げれば、この『だから少女はおもいでをたべる』にはそれがない。この小説が何を「核」として据えていて、そのためにあらゆる細部を奉仕させているのかということが、まるで見えてこない。こういう小説が、ネット上で無料公開されている優良なオリジナル小説やSSを差し置いて、読者から650円弱もの対価を要求しているということがまた一つの驚きであり、悲嘆の念を禁じえません。あたかも、実際的な手仕事をしている平民層と、手仕事は何もせず偉そうな顔をだけしている貴族あるいは資本家階級という、社会主義者達が世界史上今日に至るまで問題としてきた構造の亜種が、ラノベ市場にも具現化されていると感じられてなりません。ますます革命が待望されていると思います。革命力0。