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読書の感想など

『龍ヶ嬢七々々の埋蔵金1』(鳳乃一真)感想

龍ヶ嬢七々々の埋蔵金1 (ファミ通文庫)
西尾維新のフォロワー臭がプンプンしているが、文体はそこまで西尾臭はせず、むしろ別の臭さがある。オタ臭さである。ラスト付近のオヤジとの対話も寒気がする。勘違いしたオタクの説教。最悪だ。オタクによる説教ほど寒いものはない。この説教シーン一つで作者が苦労して作り上げたであろう作品世界が瓦解する。著者の実存や自意識や自分語りがラノベに顔を出すことがいかに危険なのかよくわかる。この寒さが、本作の重大なポイント第一点。

第二が、オタ流新本格とでも言える小説を書いたこと。これは西尾維新によってはなされなかったのではないか。おそらく西尾維新はミステリの(特に海外ミステリの)教養を持たない。ゆえに必然的に本格ミステリを書けずラノベを書くようになったのではないかと私は推測するわけなのだが(そしてそれは昨今の西尾人気を見てもまったく間違った結果をもたらさなかったわけだが)、『龍ヶ嬢』ではそんな西尾維新からのパロディが屈託無く行われていて、非常に新しい。もちろん、単なるパロディであればラノベでは全く珍しくないのだが、ほかならぬ名探偵キャラが西尾維新をパロっているのがすごい。新本格とか本格とか言われるミステリにおいて過去のミステリ作品からの引用や薀蓄が持ち出されるのは、その本格の文脈に自分の作品もおきたいのだという作者のアピールが含まれるからなのだが、そうした本格の文脈から断絶している西尾維新を、名探偵の自己紹介場面で屈託なく用いるという点が、これはもう大変新しい感性だといわねばならないだろう。西尾維新以後の作家にとっては、名探偵は殺人事件を解決しなくともよい。ただ天才っぽいキャラであれば足りる。ミステリからの「名探偵」の完全なる自立。もちろん西尾維新以外にもこういう事態の遠因を作った人はたくさんいただろうが、西尾維新以前以後というのは若い作家にとって非常に重大な物語の概念枠組みの分水嶺なのではないか。西尾以後では、SFもミステリも時代小説もラブコメも青春小説も糞もないのではないか。ラノベとはそれらの約束ごとに無頓着にイメージだけをつぎはぎしてなんとなく萌えたり燃えたりするだけの小説に、根本的に変化したのではないか。まあ、西尾維新にそこまで重大な歴史的意義を認めることについてはまだまだ検証の余地があるが、西尾フォロワーの現今の拡大をみるにつけ、文化意志的な考察の対象としては非常に興味深い。

全体に話としてはそんなに面白いものではなく、キャラによって読者の興味を持続させるつくりをしている。話の筋はこの小説にとっておまけのようなものだ。「人工学園島」という設定からも分かるとおり、周囲からある程度隔絶した学生ばっかのユートピア的環境が舞台となっているものの、管理や自治の問題がほとんど出てこず、思想的な意識は相当に低いと言わざるを得ない。革命力3。