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読書の感想など

『勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。』(左京潤)感想

勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。 (富士見ファンタジア文庫)
未だに勇者と魔王が主人公のラノベは出続けている。しかし、勇者であることが一体どういうことなのか、魔王とは一体何なのか、深い洞察を持った勇者モノ、魔王モノは少ないように思える。ライトノベルによく出てくる勇者と魔王という役の原型を作ったと思しきドラゴンクエスト3の大魔王ゾーマは、既に「光ある限り闇もまたある」と述べることによって勇者と魔王の本質を自ら語った。というよりも、この言葉によって我々ラノベ世代・ファミコン世代の勇者魔王観は規定されているのではないだろうか。勇者は魔王なくして存在しえないし、魔王も勇者なくして存在しえない。勇者の定義とは、「魔王を倒す者」であり、魔王の定義とは「勇者に倒される者」であって、相互に依存し合っている。

だが上記程度のことは勇者モノ魔王モノ(この二つは定義上同じものをしか意味しないので、以下では魔王モノとのみ書く)の読者にとって常識になっていて、むしろ魔王が世界征服を放棄することに対して勇者がツッコんだり、逆に勇者が魔王征伐を放棄することに対して魔王自身がツッコんだりすることにこれらのラノベの面白さがある。つまり、お約束をいかに破るかが見所なわけだが、このお約束を認識していること自体が魔王モノに関する深い洞察を必ずともなうわけではない。勇者と魔王の相互依存的な定義を抜け出して、いくらかはマシな理解を得るためには多少の思考実験やそのための試行錯誤が必要だろうと思われる。

本作『勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。』は、ストレートに魔王もののパターンを踏襲する。タイトルからして、勇者がその役回りを外れてしまう話であることを示している。これ自体は魔王モノの典型パターンなのだが、読者の興味を引くのは「就職」の二文字だろう。逆に言えば勇者であることは「就職」しないことなのである。勇者という存在に、我々は一体どういう願望を投影しているのか。この問題について何らかの答えを提示してくれる小説なのではないかという期待を、読者はこのタイトルに抱くのではなかろうか。そして確かにこのラノベは勇者になれなかった主人公と魔王になれなかったヒロインに、少なくとも勇者に関してはその答えを語らせてくれる。その意味では他の魔王モノに比較しても優れていると言ってよいように私は思う。昨今の現実世界に吹き荒れる不況の嵐をもファンタジー世界に反映させていて、現実に就職活動で苦労している読者にとっては賛否あるだろうと思うが、ある種の期待は裏切らない作りになっている。

あまり書くとネタバレになってしまうので控えるが、本作で示される勇者の本質の一つには、不労所得の獲得がある。勇者であることはやはり労働とは真逆のことであって、勇者が実現する正義や理想は、むしろ非労働である遊びの領域に近いとも言える。

労働の価値はどこにあるのか、貨幣経済の美点なども語られるが、この点についてはあまりに素朴な認識が示されるばかりであり、反革命的だ。革命力47。