hkmaroのブログ

読書の感想など

年末から正月にかけての約一週間は、アパートでずっと孤独に過ごしていた。あっという間に時間が過ぎた。大半の時間をネットに費やしていたように思う。小人閑居して不善をなす、ということわざがあるが(この言葉を私は舞登志郎先生のマンガで知った)、まさにそれであり、結局読むつもりだった本も読めず、時間を空費したかのようだった。

しかしこのような無為の生活がとても自分にしっくりくるのは、やはり私の本性natureがひきこもり・ニートだということなのであろう。将来的には再びニートとして身を立てるべき人間なのだ自分は、と再確認した。

しかし全く何もしなかったわけではない。大人になるまでの約十五年くらいの期間、わが国の子供たちは毎年正月にお年玉をもらい、その金を握り締めてめいめいゲーム屋やおもちゃ屋や服屋やレコード屋に走る。もっとも繊細な時期にそのような消費行動様式を刷り込まれたわが国の元子供たちは、やはり正月にパーッと金を使わないではいられない。つまり、私も毎年のごとく正月のショッピングを楽しんだ。ブックオフで。

最近ブックオフ友達の男子大学生二人が主人公の小説を書き、その小説の中にブックオフで『寄生獣』を全巻買う、という描写を入れたのだが、それがきっかけで無性に『寄生獣』が読みたくなり、正月休みにブックオフの105円コーナーをはしごして買いそろえた。やはり名作だった。それどころか、中学か高校のころ読んだときよりも何倍も感動した。泣きながらページをめくった。マンガ読んで泣いたことなんかもしかしたらなかったかもしれない。それくらい大人になって読み返すと名作感が増すマンガだった。しかし一緒に買った『忍空』を読んでも泣いたので、単に私の涙腺がバカになっているだけなのかもしれない。

寄生獣』のいいところは、挙げていけばいろいろあるだろうと思うけど、私が一番ポイントだと思うのは、ミギーのドラえもん性である。少年の勉強部屋に現れた、異世界からの居候兼友達、という図式は、これはまったくドラえもんと同じであり、それどころかその居候は主に主人公の尻をたたく役目を果たすという意味でも全く同じである。ちょっと前のアニメだが『C』というアニメでも似たような仕組みがあった。『C』の場合は居候は美少女であり、日常生活にはあまり関与しないマスコット的キャラでもあったのだが、主人公のプライバシーがある程度確保された個人部屋で、それにもかかわらず居候だけは主人公と同居を許されているという大雑把なドラえもん性は満たされている。このような勉強部屋居候ものの特徴は、この仕組みを採用した作品がほぼ例外なく主人公の成長を描いている点である。と言ったそばからで何だが、勉強部屋居候ものの雛形としての象徴的ポジションにあるはずの『ドラえもん』においてはのび太はまったく成長しない。ドラえもんは確かに道具を貸し与えることをその一環としてのび太を教育しようとするのだが、しかしのび太はその教育を聞き流して道具を悪用することばかり考えている。『ドラえもん』においてすでに「成長」という概念の欺瞞性が先取られているのである。われわれがマンガ版の『ドラえもん』を読んだときに覚える笑いと、その笑いと同時に覚えるある種のアナーキー感は、この成長を拒否するのび太のパンク精神、ひいては作品全体のパンク精神に起因しているように思う。このパンク精神は、アニメ版の『ドラえもん』とマンガ版とを比較してみることにより一目瞭然に感得できる。読者が乗り移れる主体としての少年と、その少年とともに道を歩み、時に導くキャラクター、という二項間の相互作用が生み出す「成長」は、親が子供に買い与える幼児向けマンガという商品の性質上見せ掛けとしてだけでも必要だったのだが、それゆえにこそすでに小学生のリアリティにはなんら訴えなかった。その「成長」を促す圧力をへらへらと受け流して利用するのび太的パンク精神こそが、小学生の心に響いたのではないだろうか。思い返せば、親の機嫌を取って少しでも多くのお年玉をもらうという姦計は、全国の小学生の考えることなのだ。してみれば、主人公の精神的な成長を臆面もなく前面に押し出した『寄生獣』が(それ自体は全く良いことなのだが)、今より若年だったころの、主人公の泉新一と同じくらいの年でもっとも感情移入できるはずの私の心には涙を流すほどには響かず、むしろ成長の終わってしまった今の私の心のほうにより強く響くというのは、それなりに理由のあることなのかもしれない。

忍空』だが、一巻を改めて読み返して、やはりこれは時代劇を少年漫画でやったマンガなのだなと思った。多くのお茶の間時代劇では、殿様が悪者と手を組んで町人をいじめたり殺したりし、それを町人に化けていた「殿様の中の殿様」がみとがめ、夜を待って悪者と殿様を成敗する、という定型句的パターンが繰り返されるのだが、殿様という単語を忍空に置き換えても全く問題なく当てはまる。だがその秀逸な時代劇マンガとして日本人の心性の類型を的確に捉えていた非常に稀有な例外的少年漫画だった忍空も、段々とバトル描写の占める割合を大きくしていく。