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hkmaroのブログ

読書の感想など

エヴァのSSを読む

エヴァQを観てからというもの、毎日夜中までSSを読みまくる日が続いている。最近そのせいで寝不足でつらい。会社で寝そうになる。でもやめられない。エヴァのSSは楽しい。SSにも色々と様式があって、特にエヴァのSS業界では、LAS、LRS、スパシン、逆行、断罪、そのほか色々あって初心者には何のことやらわからない。これらの用語は視聴者達がエヴァに求める願望をそれぞれ表現している。どういうエヴァだったら気に入るのか、ということを示している。それゆえSSの中身はエヴァ本編のように煮え切らない殺伐とした人間関係ではなく、極めてラブコメ的で本物と比べてむしろ出来合いの商品であるかのようなウェルメイド感がある(もちろんこのウェルメイド感を持つのは良質のSSに限られるが)。大ヒットしたそれ自体商品であるはずのエヴァの原作よりも商品っぽいSS、という現象は一見奇妙だが、逆に考えれば、普通に商品として流通しているラブコメ(マンガ、アニメ、ラノベ、その他)がエヴァのSSっぽいのだとも言いうる。SSをはじめとする二次創作ってーのは一般的に原作の「補完」であることが多く(例えば原作では成就しなかったシンジと綾波・アスカの恋を実らせるだとか、原作ではウジウジして結局パイロットとして活躍できなかったシンジを万能人間という設定に変えて活躍させまくったりとか、最終話までの知識を備えたシンジが一話時点にタイムスリップして不幸を未然に防いで未来を作り変えたりとか、あるいは諸悪の根源であるとエヴァオタにみなされやすいゲンドウやミサトをひたすら断罪するだとか)、このSSの性質を商品として流通するウェルメイドないわゆるラブコメが何らかの形で備えているとするならば、例えばラブコメとは現実原則のこの世界を「補完」していると言うことも可能なのではないだろうか。エヴァのSSが一般的に原作の持っていた「文学」(と岡田斗司夫は表現したことがある)性を放棄して、原作でその「文学」性の表現として見られるメンヘラ的要素や性的・暴力的な要素をすらもSS世界のラブコメ的日常の「ネタ」として消費してしまうことを考えてみるに、SSは単純にメタ原作というよりも、そのメタ化によって「文学」性を漂白し無害化する機能を持つと言うこともできるのではないだろうか。そして商品ラブコメにおいてはSSで言う原作の位置にあるのが現実原則の世界だとするならば、ラブコメはメタ現実というよりも、そのメタ化によって現実の酷薄さを漂白し無害化する機能を持つのだと言うべきだろう。この無害化作用があるときにはご都合主義と呼ばれたりイージーさと呼ばれたりお約束と呼ばれたりデウスエクスマキナと呼ばれたりするのであろう。つまりこのように現実原則からの逃避行動としての物語による無害化は、単にラブコメにだけ存在するものとは考えにくい。というか、どのような物語であっても作者あるいは読者の願望が投影されていると考えるべきであるのはフロイトの「詩人と空想すること」を読めば明らかとまではいはないが、とりあえず物語を読んだあとに「それはお前の願望だろうが!」とツッコミを入れる所作を身に着けることは大事なことだと思う。しかしその中にも物語自らが自分自身を「願望充足のための機能を担わされた道具に過ぎない」と反省するかのように演じる物語が存在していることも事実である。そのような物語が、自然主義だとか写実主義だとか私小説だとか、もっと急進的にはメタフィクションなどと呼ばれるのであろうが、同じ「メタ」だと言ってもこれらはSSとは真逆の方向を向いたフィクションの類型である。願望充足のためのメタなのか、願望充足そのものを批判するためのメタなのか、そこにフィクション一般を二つに分かつ分水嶺を認めることができないだろうかなどと思う。SSは、その原作の持っていた批評意識や問題意識(それが存在する作品であったならば)を引き継ぐことはできない。それを捨てるからこそSSはSSとして成立する。それをしない二次創作小説は外観上キャラクターの性格や名前や外見を原作から拝借したようでありながら、実際にはSSとして成り立っていない。一般的には「断罪」ものなどは作品世界に批判的なSSだと思われていると思うのだが、しかしこれは「あのキャラ断罪してえーーー!」というオタの願望が先行している限り決して批判的でなどあり得ない。「断罪してえ」という願望そのものを問わねば「文学」的で「メタフィクション」的だとは言えないのだ。また、これに似た問題だが、「メタフィクション萌え」はそれが物語愛好の一類型にまで堕落させられている限り決してメタフィクションとして読むに値するメタフィクションとはなっていない場合が多いと感じられる。上記に見て来たようなことを確認した上ではエヴァ序と破は極めてSS的だったのだと言う事ができるだろう。だからこそ我々エヴァオタはオタとしてぽか波に満足しつつも言いようの無いコレジャナイ感を感じていたのだと思われる。そしてQがこのSS性を完全に放棄してしまったのかというと、私にはそうとも言い切れないのではないかと感じられて仕方が無い。もちろん破に比べたら全然SS性は低いと思うが、かといってQに登場する諸々のビックリ仰天な人やアイテムがSS的でないと言い切れるかどうかは微妙だなと思う。SS的であることを願望充足的、SSに批判的であることを願望批判的、とここで仮に言い換えるとすれば、Qは願望充足的なフォーマットの上に願望批判的な意味内容が演じられていたと言うことができるのではと最近の僕は考えています。俺も鈴原サクラ医官に手コキされたいよー!

http://www.logsoku.com/r/news4vip/1353911757/ http://www.logsoku.com/r/news4vip/1353557991/

あと全然関係ないけど最近自分で味噌汁を作るようになった。増えるわかめと豆腐の味噌汁。これがうまい上に安い。簡単に作れる。インスタント味噌汁よりも簡単に作れるのではないか。そして今日は味噌汁以外にもナスとベーコンの味噌炒めを自分でやってみたが、これもうまい。しかも炒めものなんて要するにフライパンの上で物を焼くだけなので簡単だ。しかし豆腐に味噌に味噌炒めと、大豆だらけだ。味噌汁に豆腐を入れるとか、これは外人からしてみればチーズをバターで焼くようなもんであって、変な料理に見えるのではないだろうか。でもうまい。