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hkmaroのブログ

読書の感想など

メモ

[f:id:hkmaro:20121109111843j:]

立て続けにこんなどうでもいいマンガの話題で非常に恐縮なのだが、上掲のようになっているコメント欄を見て、そうかこうするのが狙いだったわけね、と知った。偉いなあ、偉い”ファン”だよ。星屑七号先生は”ファン”に愛されているよなあ。こういう風にレビュー欄を作りあげるために捨てアカを複数動員して「参考にならない」票を入れまくったわけだ。こりゃあ俺の負けだな。あっちのほうが二枚も三枚も上手であった。いや、まったく天晴れ。敵ながら天晴れ。資本主義のルールってのは本当に難しい。この資本制下では、資本制のルールにより近づいた人が偉いのだ。その意味では俺は完全な敗者だな。

今の時代マンガ一冊売るにもマンガ外のことを頑張らなければならないわけだよね。僕のように普通に就職してサラリーマンやってる人は、サラリーマンの所作が自然に身について苦痛はあまり感じないけど、漫画家なんてやってるひとは「どうしてマンガ以外のことで苦労しなきゃいけないの!?」って気持ちになるだろうなあ。マンガを描かせてもらうために編集の奴らにへーこらしたり、営業の電話かけたりする屈辱は、僕には寸毫もわからない。大変だろうなあ。

で、そういうマンガ外の苦労の一環として、アマゾンのレビュー欄で色々シコシコしたりするというのもあるわけだよね。いや、このマンガについては置いといてね。俺も知り合いの本が出たときに「工作しろ」って言われたことあるし。もしかしたらマンガを売るために大事なのって、今の時代マンガそのものを頑張るよりアマゾンのレビュー欄を頑張ることのほうかも知れんですよね。いや、一般論としてね。

で、そうすると考えたことが二つくらいあって、その一つは、ネットの集合知がどうとか、ネットの知恵袋がライフハックでノマド、とか言われているわけだけど、そういうのも当てにならないことになるよね。当てにならないといったら言い過ぎかもしれないけど、広告と知恵袋の境目がよくわからないことになっている。知恵袋を広告として再構成することによって、ネットの市場はできている側面がある。で、こういうのが行き過ぎると「なんだよアフィかよ」「なんだよステマかよ」という経験がネット上のカスタマー達の心の中に蓄積されていって、結局ネットの情報は当てにならない、という風に思う人も出てくる。現に俺とかは今だいぶそう思っている。そうすっと、やっぱり人間が直接的に持っている知識が大事だ、という方向へ回帰する。ネットの知恵袋よりおばあちゃんの知恵袋のほうが正しい場合が多い、ということになる。Wikipedia編集合戦に付き合うよりもオタクが肉声で語る薀蓄を聞いているほうがためになる、ということになる。で、結局見巧者的存在、評論家的存在、バイヤー的存在が必要だと感じられるようになろう。何しろネットは広大過ぎて、嘘を嘘と見抜くために必要な労力が大きくなり過ぎた。そんなことに時間を使うよりも、信頼できる紹介者を二三人定めておいて広大なネットを泳ぐためのコストを下げて、うまーく濾過されたあとの情報に触れるほうが快適である。

もう一つは、まあ当たり前と言うか前々から考えていたことだけど、商品が売れるためには商品そのものというよりも広告宣伝のほうが大事だということだ。実際私がほぼ全否定した件のマンガが、読書メーターでは「面白かった」とか「考えさせられた」という感想を得ているわけだ。もちろんこれも広告として再構成されている可能性は皆無ではないが、さすがに全部が全部そうというわけではないだろう。つまり、マジ本気で「おもすれーww」と思ってる読者もいるわけだ。そういう人々もいて、そこを開拓するために広告宣伝サクラステマを使うことによって、ほんとにヒット作品となることもないとは言い切れない。もちろんメガヒットを飛ばすにはもうちょっと中身自体に工夫はいるかもしれないけれど、とりあえず広告宣伝を頑張っとけば会社が潰れない程度には商品を回していけるのではないだろうか。そこまで舌の肥えた消費者は世の中には少ないというか、むしろ情報が膨大になり過ぎて選択肢が増えすぎた現代において大多数の消費者の舌は衰えていく一方であろう。

で、後者に関してだけど、私はそれを悪いことだとは全然思わない。だからむしろ今は星屑七号先生や集英社の利益・収入・カネに関係してくるレビューを投稿して、まあ後悔はしていないけれども、次からはもう少し気をつけようかな、と思った次第である。アマゾンのレビュー欄は、レビュー欄というよりも広告欄なのである。いや、潜在的にね。今回のがそうだというつもりは全くないでござるよ。しかし潜在的に広告としても機能し得るわけじゃないですか。そうすると僕がつけた☆1つという評価は、広告としての機能を低下させてしまうわけじゃないですか。そうすると、少しだけ、もうちょっとだけ寛大になってもよかったかな、という気がしないでもない。寛大というか同情というか。

どうせ古典としての価値がありうるような作品にしか私の興味は向かないのだから、広告宣伝サクラステマで売れるような作品には一切興味がないのだから、そういう一切興味のわかない作品が売れようと売れなかろうとどうでもよいわけだから、せっかくなら日本経済活性化のためにどんどん売れてもらったほうがいいのかもな、とも思うわけだよ。たとえばワンピースとかすごい売れてるらしいけど、これをけしからんというのではなく、むしろどんどん売れてください、その影でひっそりと次世代の古典は生まれ続けていますから、という具合にもう看過したい気持ちだね。ワンピースが売れてくれれば出版社が儲かり、その儲かった金はめぐりめぐって次世代の古典となるようなマイナーマンガに投下される可能性があるわけだから。