hkmaroのブログ

読書の感想など

人間を辞めることにした

人間を辞めることにした。といっても廃人になるとか、自殺するとか、そういう意味ではない。自分のことを人間だと思うことを辞めることにした。人間の振りして生きている何か別のものだと思うことにした。そうすることによって世俗的な幸せからきっと無縁でいられる。人間と同じような有機的な身体を持っているだけの、形式上人間に与えられているのと同じ身体を利用して生きているだけの、何か別のものだと考えることにした。そうすると、気持ちが楽になることに気付いた。というよりも、気持ちが楽になるだけの自己暗示というよりも、実際に自分は人間ではないのではないか、ということを最近考えているのだ。え? ついに頭がおかしくなったんですか? と思われそうだが、主観的にはそうではないと思っているのだが、まあ他人にはそう思われても仕方がない。何しろ人間を辞めているのだから。というかもともと人間ではないのだから。自分を人間だ、と考えること自体が何かおかしかったのだと思わざるを得ない。もちろん外観上はこれまでと何らかわらず毎日の生活を送っていくのだが、それは人間と同じ身体を与えられて生きてきた限り抗えない制約であるから仕方がない。とにかく私は人間ではない。人間ではないのだから、世俗の人々がありがたがる諸々のことに価値を見出す必要はない。金、女、名誉、モノ、安定、そういった色々なことが、今は全く色あせて見える。ような気がする。気を配るべきことは、まず身体のことである。人間様の身体をどういう理由でかは知らないが貸し与えてもらっているからにはできるだけ大事に扱って生きねばならない。身体的な苦痛は何らかの合図だと受け取り、その原因をなるべく絶つようにせねばならない。たとえば最近彼女に振られてから吸い始めていたタバコはまた辞めた。吸っていると明らかに肺が痛くなるからである。眠いときや疲れたときは遠慮せず寝ることにした。腹が減ったときは遠慮せず食うことにしたが、腹がいっぱいになったら「残すともったいない」などと考えずにメシを残すことにした。なぜか貸与されている身体はその内奥にある非人間的な主観が生き延びるためのインフラストラクチャーなので、大事にせねばならないとともに、そこに乗っかる非人間的スーパーストラクチャーの土台に過ぎないわけだから過度に重要視することも避けねばならない。私は、バタイユに倣って、「私はディオニュソスです」と言ったニーチェの共感者でありたい。まあ、私に関してはニーチェと違って自分のことはどう考えても神様だとは思えず、どっちかというと人間以下の存在だと感じるのだが、人間でないことだけは確かである。

今日は海外からCDが届いた。注文してから一ヶ月近く経っているような気がする。

Animals As Leaders

Animals As Leaders

このバンドマジでかっこいい。八弦ギターというよりスティックの演奏聴いているような感じがする。変拍子、タッピングの嵐。悶絶する。

Milliontown

Milliontown

ハードなポップという感じで、期待していたよりは普通の音楽だった。もっとエクストリームな感じを期待していた。まあ毒にも薬にもならないBGMとしてはいいのかもしれない。

Alaska

Alaska

このバンドも良い。なんか音質が若干イモいところもアットホームで良い。インディーズのビジュアル系バンドみたいな音質。曲の訳わからなさがよい。

あとは『レッドアローとスターハウス』読み終えた。

レッドアローとスターハウス: もうひとつの戦後思想史

レッドアローとスターハウス: もうひとつの戦後思想史

やっぱりすごく面白い本だった。地道な資料集めに基づいていて労作という感じがする一方で、この人ほんとに鉄道が好きなんだなあ、という気持ちになる本。共産党のお祭りである赤旗まつりに手塚治虫が参加して子供たちを喜ばせていた、などということも載っていて面白い。

 漫画家の手塚治虫は、兵庫県川辺郡小浜村(現・宝塚市)に育ち、宝塚歌劇団など阪急文化の影響を受けたが、五二年に上京してからは五三年に豊島区椎名町(現・南長崎)の木賃アパート「トキワ荘」に住んだのを皮切りに、六〇年に練馬区谷原町(現・富士見台)、七四年に杉並区下井草、八〇年に東久留米市小山と、八九年に死去するまで、西武沿線の一戸建を転々とした(中略)。西武池袋線の飯能に土地を探したこともあった。
 それとともに手塚は、六一年から『アカハタ』日曜版に漫画の連載を始め、赤旗まつりにも招かれるようになった。七四年一月三日から二十五日まで、十三回にわたって『赤旗』に連載した「手塚漫画の主人公たち」と題するエッセイの最終回で、手塚は漫画の本質の一つとして「批判精神が基調になっていること」をあげ、「体制側をほめ上げたりする漫画は最低だと思う」と述べている。手塚は、『赤旗』紙上で漫画を描くばかりか、漫画を通しての自己の思想までも表明していたのだ。(pp. 236)

漫画の神様がこう言ってるのに、現代のネトウヨオタクときたら……「お前らはそれでもロリコンか!」と渇を入れたくなる。宮崎駿だって赤旗とってるんだぞ。情けない。