hkmaroのブログ

読書の感想など

フレドリック・ジェイムソンは難しすぎた

最近までフレドリック・ジェイムソンの名著(と言われている)Political Unconscious を読んでいたのだが、難しすぎて挫折した。

The Political Unconscious: Narrative as a Socially Symbolic Act (Routledge Classics)

The Political Unconscious: Narrative as a Socially Symbolic Act (Routledge Classics)

政治的無意識 社会的象徴行為としての物語 (平凡社ライブラリー)

政治的無意識 社会的象徴行為としての物語 (平凡社ライブラリー)

普通に翻訳で読めばいいのだろうが、翻訳で読み出すと怠けて英語で読む機会がなくなってしまうので、翻訳版は敢えて買わず、時期を見て再挑戦したい。

で、今度はレイモンド・ウィリアムズのKeywords A vocabulary of culture and society を読み始めた。

Keywords: A Vocabulary of Culture and Society

Keywords: A Vocabulary of Culture and Society

完訳 キーワード辞典 (平凡社ライブラリー)

完訳 キーワード辞典 (平凡社ライブラリー)

こっちは原書でも普通に読めて楽しい。ジェイムソンの文章がきっとおかしいのだ。普通に、とは言っても携帯の辞書アプリがないと読めないけれども、意味は大体わかる。ジェイムソンの文は、語彙的には問題なくてもさっぱり意味が頭に入ってこない。あれを翻訳した人たちはマジで偉いと思う。パラパラめくってみたのだが、英語の文章に普通に出てくる言葉も、十八世紀とか十九世紀とかに大きく意味を変えたりとか、外国語から輸入されてたりしてきたのらしい。近代以降に語彙が大きくかわったのは、明治維新があったり翻訳のための語彙が作られたりした日本だけの特徴かと思っていたがそれは思い込みのようだ。

それにしてもエロゲーをやるかたわらレイモンド・ウィリアムズを読んで考えることは、当然のことながら二次元と階級の問題である。二次元は階級に規定されない、というようなことを東浩紀は言って、これによってカルスタ左翼を論破できると考えたわけであるが、本当にそう言えるのか議論の余地はある。多分だけど、同じオタク文化といえどもたとえば『電撃大王』毎月買うオタクと『アフタヌーン』毎月買うオタクとでは色々と聴いている音楽や見てる映画や読んでる小説等の趣味が違うだろうし、そうした趣味が違うということはやはり何らかの意味で違う階層に属するはずなのである。そして『電撃大王』も『アフタヌーン』も萌えをふんだんに取り入れて人気を獲得している雑誌であって、萌えオタ文化圏外から見れば全く違いがないのだ。たしかにどんな階層にもオタクはいるかもしれない。しかし、個々のオタク趣味においてはやはりある程度階層間に差があるのでは、と私は一オタク当事者として実感する。まあ、もちろん東浩紀は震災を期に「転向」し、階層差とかの重要さを思い知ったらしいので今は全然違う考えなのかもしれないのだが。

あと、メーカー側のマーケティングとして、ほとんどのゲームが二十台から三十台の独身(含彼女ナシ)男性をターゲットとして狙っていると思われるので、いい年して独身である男性、しかもエロゲーに金を費やす余裕はある男性、という顧客像をメーカー側の視点に立って思い浮かべてみると、ある程度ユーザーたちが所属する社会階層の範囲は絞れると思う。エロゲーユーザー層より富裕な独身男性オタクたちには、きっと別の二次元オタクの趣味があり、また、エロゲーユーザー層より貧しい独身男性オタクにも、きっと別の二次元オタクの趣味があるはずである。もちろん個々の趣味は一人のオタクにおいて重層的に絡みあってはいるだろうが、きっとエロゲーという嗜好を強く持ってしまいやすい階層というものが存在するはずだと思う。まあ、そんな階層を知っても何の知恵にもならないかもしれないし、そうであれば事実上無視できるというわけで、二次元と階級に関係性は存在しない、といってもそれほど間違いではないということになる。特に、オタク趣味の階層間の差に権力の影響を見て取れなければ、左翼的な研究としてはほぼ無意味であろう。

昼飯:てんやの鳥天カレーだれとかいうやつ。不味い。晩飯:すたどんやのスタミナ定食的なやつ。まあまあうまい。