hkmaroのブログ

読書の感想など

毎日日記を書くのがめんどくさい

毎日日記を書くのがめんどくさくなった。五ヶ月くらい多分毎日なんかしら書いていたと思うのだが、その日起こったできごとを書くのがめんどくさくなったので、今後書くかわからない。書いといたらあとあと読み返した時楽しいんだろうけど、しばらく休止するかもわからない。休止するかもわからないなどと言っておきながら今後も毎日書くのかも知れないが……

ところで昨日はN井君に楽器屋の買い物に付き合って欲しいといわれて会社後池袋に行った。N井君はヒュース&ケトナーの15ワットくらいのアンプリファイアーを買っていた。私もアンプが欲しくなった。その後池袋の串焼き屋へ行った。日曜日百円の店で、まあまあうまく、この店は別の池袋の店舗にM岡さんとも行ったことのある店だ。ホッピー4杯飲んで頭が痛くなる。N井君とは色々人生のネガティブな側面について話した。仕事の話とか。N井君は私と同じ9月5日が誕生日で、私のほうが一年浪人しているから年上なのだが、まあ軽くお誕生会という趣であった。ちなみに社会人経験はN井君のほうが二年先輩である。なぜなら私は二年留年したからだ。

今日は二日酔いのせいで朝の五時半に目覚め、ボーっとすごした。十時半に駅前の日高屋でチャーハンを食い、四時半にロッテリアでハンバーガーを買った。そして寝た。七時過ぎにおきたらM岡さんからメールが入っていて申し訳なくなった。休みの日だからと『イモウトノカタチ』をやったが、ずーっと未読スキップしていて、何のために起動させているのかわからない。だがやっぱりエロゲー声優の演技力はすごい。もうこの世にはエロゲー声優だけいればいいのかもしれない。エロゲー声優の多くは顔写真の情報が極めて少ないというところも良い。タレントでなく、声優なのである。エロゲー声優こそむしろ本質的に声優なのかもしれない。エロゲー声優はエロゲーで糊口をしのぎつつ劇団に所属している人などもいる。生活と芸術が、声優業、というか、演じるという行為によって両立している。もちろんそうした人は少ないかもしれない。エロゲー声優であってもそれだけでは食っていけないという人も沢山いるだろう。しかし、その昔より役者のアルバイトであり言わばテレビタレントとも代替可能であった声優業が、今現在は彼ら彼女ら自身タレント化した声優たちの余技である声優業が、現代のエロゲー声優においては固有の価値を持つ業種として成立しているかもしれない、というようなことを思う。エロゲー声優という仕事は、声優の観念が成立したあとに可能になったのではないかなどと思う。同じくエロを演技する仕事でも、AVの演技とエロゲーの演技は全く違うわけだ。もちろんテレビゲームに声をあてる声優だってアニメという概念に包含されたところの声優であり、声優という観念成立以後の声優であることには違いないのだが、しかしテレビゲームの声優はアニメ声優と人脈としてはほぼ完全に同じであり、つまりはタレント化した声優の余技という側面がある。当然収入の額でいったらタレント化した声優といえども声優業が主なのかもしれないが、その声優がそのアニメに抜擢される主たる要因はその声優のタレント性にあるのであって、演技力や演技の質にあるのではないだろう。それらは声優という名のタレントとして活動するための単なる条件のようなものである。タレント性によって彼ら彼女らの声優業における収入がなりたっていると、私はみている。そうである限り、収入の額をもって、タレントではなく声優なのだ、とは言えない。アニメ声優がその仕事を成り立たせるためには、メディアに顔写真を出し、イベントの壇上に立ち、歌を歌い、歌のライブでパフォーマンスをしなければならないのだ。それらの諸活動がタレントとしてのブランド価値を高める。だが、エロゲー声優には必ずしもこれらのことは必要ない。

エロゲー声優はポルノ女優なのか、という疑問もある。エロゲーの中にはエロ主体のゲームもあればエロは全体の0.5パーセント以下というようなゲームもある。そのほかの膨大な時間はアニメ等と変わらないような普通のラブコメ的ドラマを演じるのであり、むしろラブコメを演じるプロこそがエロゲー声優なのでは、という問いも発生する。ポルノに出演する女優、という意味ではポルノ女優には違いなかろうが、実質として演じる内容のほとんどは非ポルノ的な内容なのであり、そうした非ポルノ的なシーンにおけるエロゲー声優の切実な演技にユーザーは胸を衝かれ涙するわけなのであり、無論ポルノ的演技にも満足しつつ、それ以上にドラマを演じる力量こそに我々エロゲーユーザーはエロゲー声優の演技に価値を見ているのだ。つまり、エロゲー声優はポルノ女優ではあろうが、それ以上に声優なのである。あるいはこうも言えるだろう、エロゲー声優は声優以上に声優であると。