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hkmaroのブログ

読書の感想など

id:j_whiskey他への返答

こういうはてなブックマークをして、以下のようなコメントを書いた。


憲法15条に則った正しい判断。坂本龍一なんかに俺の税金が使われてたまるか! って思ってる人も無視できないほど沢山いるはずなわけで。芸術の政治性なんかとはまるで関係ない話。

そしたら反論めいたコメントがついたので一応返答しておく。ついたコメントについては冒頭のリンクを参照されたい。

>id:j_whiskey

アホか。市議会議員を公務員と言ってどこが拡大解釈なのか。ひと向かってに「やり直し」などと偉そうに述べる前にもういっぺん生まれなおして自分の頭の悪さをやり直せバカが。こいつに☆をつけて同調してるid:Gl17id:yoko-hiromid:iwwid:flagburner、ほか似たようなことを述べてると思しきid:kuippaとかも同様。

こいつらはもしかして俺が坂本龍一のことを公務員だと考えて憲法15条を持ち出してきたと思ったのだろうか? しかし登場人物として、市議会議員(公務員)、坂本龍一(かかる公務員達が雇ってる業者)の二名がいて、そこで公務員に関する規定を私が持ち出したら、前者が憲法15条に則っているのだということを私が述べたいのだということは自明である。他に判断のしようがない。非公務員が公務員に関する規定に拘束されるわけがないんだから。こういう単純な日本語の解釈を間違うような奴が何を言ってきても無効である。それかもしかしてこいつらには議員が公務員である、という意識が存在しないのだろうか? あ、だから「議員だって税金で政治活動してるじゃないカー!」とかいうトンチンカンなバカ丸出しの言葉がブコメで踊っているのだろうか。議員や首長は法に定められた手続きに従って投票その他で「国民が」つまり「われわれが」選出したのであって、そこに政治活動の正当性があるんであって、というか政治活動というのは誤解を招く言い方で、立法だとか行政をしているのであり(高校のころモンテスキューの三権分立を習いませんでしたか?)、そこが一般市民の政治活動と違う。一応みんなの合意の下に作られ、あるいは維持されている(ということになっている)公務員選出の制度に従って選ばれた公務員なんであって、そいつらの政治的な立法や行政の行為には正統性があるのだ。その正統性とともに選ばれた議員の業務を一般市民の政治活動と同列に扱って論じるのは議会制民主主義に対する挑戦である。そういうことをわかってこいつらはしゃべっているのだろうか。もちろん昨今は議会制民主主義自体に対する批判も多い。この批判を端的に表しているのが、よく引用されるルソーの言葉、「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう」であろう。つまり選挙で選ばれたあとはマニフェストも公約もクソも味噌もないというわけだ。しかしながら、上に名前を挙げた奴らはそれ以前の認識に留まっていて済度しがたい。

ただし、税金を使っているのだから公務員の雇っている業者であるところの坂本龍一自身も(言わば準公務員風に)業務外でもある程度非政治的に穏当に振舞え、という要求が正当なのかどうかについては議論の余地はあるとは思う。たとえば公務員の場合は、業務以外の自由時間においてもポスター貼りなどの活動が有罪だとされた判例があるようだ。しかしだからといって公務員が雇った業者までもが私的な時間における政治活動を制限されねばならないのかどうかはハッキリといえる基準はないのかもしれない。しかし、たとえばこれが私企業間の取引であった場合、A社が雇ったB社社員が、A社の取引外ではA社の批判とも取れるような表現活動を行っていたら、当然ながら取引が途絶えるか、もしA社あるいはB社がそれでも取引の存続をしたいのであれば、なんらかの妥協点を探る話し合いが持たれて当然である。つまり取引の間だけは表現活動に関して「配慮」してもらうようにお願い(というより圧力をかけるとかか)する、というようなことが起こったとしてもおかしくない。それができなければB社が取引から外されるだけであろう。だから私の目には今回の「配慮」のお願いは全く当然のように見えるし、しかも行政は自治体全体を代表せねばならないのだ。そういう仕組みになっている。そうしたときに特定の価値観を推進する業者のことが公務員たちの会合において話題になるということは全く当たり前のことである。「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」のだから。