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hkmaroのブログ

読書の感想など

バタイユ『アセファル』より

今日買ったバタイユの『アセファル』をパラパラめくっていたら冒頭からいい言葉に出会ったので抜書きしておく。


 われわれがこれまで属してきた世界は、欠陥あるそれぞれの個人以外には、何も愛すべきものを見せてくれない。その世界の実存は、便利さの枠を出ない。死ぬほどの――男が女を愛するときのような――愛の対象になりえない世界は、ただたんに利益と労働の義務を示すのみだ。消えていったかずかずの世界に比べれば、それは醜悪であり、あらゆる世界のなかでもっとも失敗した世界であるように見える。
 消えたかずかずの世界においては、恍惚(エクスタシー)のなかにみずからを失うことが可能であった。それは教養ある通俗性の世界では不可能である。文明の諸利点は、人間たちがそれを利用するやり方によって相殺されている。つまり現在の人間たちは、いままでに在ったあらゆる存在のなかでもっとも堕落した存在になるために、その諸利点を使うのだ。

三島由紀夫バタイユのことを最も共感するとか言っていたということがウィキペディアに載っているが、これを読むとすごく納得する。保守的な文明批判でもなければ、左翼的な資本主義批判とはもっと違う。「役に立つものだけがもてはやされる世の中マジファック」という幼稚なサブカル擁護とものすごく似ていながらも、そういう多文化主義的何でもアリとは高踏的である点で一線を画す。それにもかかわらず「欠陥あるそれぞれの個人」が愛すべきなのだという言い方からはむしろ乙女ちっくな少女趣味をすら感じる。何か、色々なものが一直線につながったかのような気がしてくる文だ。本格的にバタイユを読んでみようかという気になってきた。