hkmaroのブログ

読書の感想など

八月二十九日

八月二十九日

昼:カレー。夜:早稲田のラーメン屋、かんた。
馬場の芳林堂でトーマス・マンの『ファウスト博士』岩波文庫が重版されていたので買った。この『ファウスト博士』はシェーンベルク音楽理論がパクリに近い形で用いられているらしく、シェーンベルクが怒ったという話が伝わっているのだが、マンに対してシェーンベルクの理論を紹介したのはアドルノである。若き日のアドルノトーマス・マンのファンであり、マンのために色々骨おったあげく、その仕事を丸写しでマンにパクられてしまったらしいのだ。つまりマンはパクリのパクリというか、二重のパクリを行ったわけであり、これはとんでもない悪党だといえそうだ。とまあ、そういう話が100 Notes-100 Thoughtsというシリーズから出ているマンとアドルノの書簡本の解説に載っている。解説はエンリーケ・ビラ=マタスという日本ではほとんど知られていないスペインの作家が書いている。それによれば、英訳だが、アドルノはマンに対して以下のように書いた。

There was one occasion, it was in Kampen in the summer of 1921, when I followed on behind you for a good way, unnoticed, as you walked, and imagined what it would be like if you were to turn and speak to me. That you have indeed truly spoken to me now, after twenty years, is a moment of realized utopia that is rarely vouchsafed to any human being.

これほどまでにアドルノは熱狂的なマンのファンだったらしい。ビラ=マタスは、"Adorno was speaking here without the slightest irony"と添えているほどだ。そんな若き哲学者アドルノの純情をもてあそぶ老獪なマンの姿は、日本のトーマス・マン読者に偉大な世界文学の書き手の別の顔を提示するであろう。もしパクリが事実であるならば。

帰宅して借りていた『ダークナイト』観た。こないだ『ライジング』を観て、その後の飲みでライジングより全然面白いから観たほうがいい、といわれたので観た。確かにこの映画にはヒーローを求める観客の欲望を突き放すような批評性がある。特にアメリカ人が観たらグッと来るのだろうと納得できる。まあ、わが邦にはすでにデビルマンという偉大なマンガが存在するので、巷間言われているほどの価値を認めることはできなかった。それも『ライジング』を先にみてしまったからかもしれない。クリストファー・ノーランバットマン三作では『ビギンズ』が一番良かったな。