hkmaroのブログ

読書の感想など

八月二十二日、八月二十三日

八月二十二日

阿部共実の『空が灰色だから』の一巻と二巻を読む。短編が色々入っているが、大きくわけて二つパターンがあると感じた。初期阿部和重的なアイデンティティの分裂&妄想と現実の乖離を露呈させる不調和的なパターンと、ちょっとエキセントリックなキャラがギャグっぽい日常を演じるちょっといい話風で調和的なパターンである。会話が西高科学部っぽい感じ。そういうアマチュアっぽいリアルさがあって、これは正しく詩人だなと思った。詩人とは共同体を密接に結びついているものだ。共同体から生まれてくる詩を詠むのが詩人である。詩人はもともと詩を作るロマン的な主体ではない。このような主体性の薄さとマンガ家の関係について、吉本隆明中沢新一が昔対談をしていた。詩人は近代的な苦悩する作家ではないからこそその詩が共同体内で共有されていたわけであり、現代のマンガ家とは共同体が破壊されたかに見える現代の大衆たちの間でおのずから生まれてくる詩を奏でる詩人だ。マンガとして優れているかどうかなどということは、マンガの評価にとってはまるで関係がない。絵がうまいとか下手とか、売れてるとか売れてないとか、そういうことはマンガ家としての才能とは全く関係がない。そこに詩魂があるかどうかだけが問題だ。それだけがマンガ家の才能を保証する。

 

八月二十三日

書くことなし。