hkmaroのブログ

読書の感想など

自立

自立自立とは言うものの、一体それがどういう状態のことを指しているのかについては一定していない。一般に自立と言ったら経済的自立のことを言う。経済的自立というのも不思議な言葉であって、人間が広い意味での商売によって収入を得ているからには原理的に経済的に自立することなどありえず、お客様や雇用主の顔色をうかがいつつでなければ生きていけないのだが、結局経済的自立のどこが重要なのかと言うと、タカりをしないというところである。商売で得た金は当事者間の合意のもとでやりとりされる金なのであって、不当にズルして手に入れているものではない。しかしながら、親の金で三十四十まで生活している人は、そんな金持ちの親を持たなかった人に比べてアンフェアな地位にいる。また親の金が生活につながっていると、親に対する反論ができない。いや、親の金で生活するのが当然になってくると平然と養ってもらっていながら親を殴ったりできるだろうし、私自身は学生の頃からそういうDQNな若者の精神性に憧れてもいるのだが、大体の場合はちょっとくらいは後ろめたくなるもんだと思う。結局のところ自立の中心的な価値は、<親に反論できるか否か>というところにあると思う。さらにこれを広げれば、<どんな相手にも反論できるか否か>ということになる。前者がいわゆるところの経済的自立のことであり、後者が私の目指したい自立のことだ。言うまでもなくこれは吉本隆明の『情況への発言』を読んでにわかにこねあげた考え方であり、まあ大したものではないのだが、しかし自立したいという欲求が、「自立」という言葉を与えられないまま澱のように私の精神に昔から存在していたことは事実であり、「自立」という言葉を与えてもらっただけでも吉本隆明には今のところ私の人生の中でも最高度のリスペクトを捧げている。

すると自立とは「独立」にほぼ近い意味を持っているということができる。状況の利害関係に組み込まれないように努力して、必要があれば状況に対して文句を言えるようにするのが自立である。それは状況から独立して振舞うことができるということと同じだ。そのために経済的自立、つまり生活基盤を文句を言う対象としての状況とは別の場所で得ていなければならないのである。本を作って売ってその金で生活してさらに本を作り、みたいな活動は、客の機嫌を気にしなければならなくなるので、本来なにか言論をやっていこうとか芸術をやっていこうとか考えている人間がやるべきではないんではないかと思う。少なくともそれをやることに対してやましさを感じてなければ信用できない。とはいえパトロンから金をもらって活動するのも、結局パトロンの顔を気にしないといけなくなるから自立だとは言えない。また古代ギリシャの自由人は奴隷制という幸福な幻想のもとで自立を享受していたに過ぎないと言える。

クソをクソだと言うためには、そのクソ的状況から少なくとも生活の基盤は分離していなければならない。そうすると逆説的だが、サラリーマンや自営業者などの一般的な労働者こそが、真に自由な言論人である(自分の業界除く)、ということが言える。そういう可能性を見せてくれるところが吉本隆明的な自立概念の良いところであるが、しかしこの自立を担ぎ出して資本主義的な汚い商売を正当化する人も昔はいたらしい。昔はというか、今も同じようなことを言う奴は後を絶たないわけで、市井に溶け込んでこそ本当の真理がわかるんだ、とか、最も低俗な言説としては「自助の精神」みたいなものまである。そういうゴミみたいなまやかしを排除しつつ自立することは可能かどうか、課題として考えて生きていくことにしたい。と今のところは考えている。