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hkmaroのブログ

読書の感想など

昨日はM浪先輩とM岡先輩を呼んで酒を飲んだ。久々に尋常じゃなく酔い、うすらぼんやりとしか記憶がない。M岡先輩と二件目の居酒屋で同人誌を新たに作ろうと言う話をしたのをおぼえている。ブッチャーズ! ブッチャーズ! とやたら連呼していた。朝起きると持ち金がほとんどなくなっていた。使った記憶がないのに一万円札が丸ごと失われていて、地味に痛かった。

ところでブッチャーズの話で盛り上がっていると、北海道でのエピソードなどをM岡さんから教えてもらった。ブッチャーズ周辺のイースタンユースなども北海道出身らしい。関係ないかもしれないが、滝本竜彦佐藤友哉も北海道出身であり、今日池袋まで話を聞きに言った十文字青も北海道出身である。北海道という風土には人の文化活動に暗い影響を与える何かがあるのかもしれないし全然関係ないのかもしれない。が、確か寒い地域では鬱病患者が多いとかいう話を聞くし、北欧あたりの国のバンドマンは寒すぎて外で遊べないので必然的に家の中で楽器の練習をする時間が増えて非常に演奏がうまくなる、などという与太話を聞いたことがある。つまり、インドア的な文化活動をするには寒い地域はもってこいなのかもしれない。村上春樹羊をめぐる冒険では、主人公は北海道の僻地の家で、話し相手すらいないにも関わらず、文化的にはこの上なく充実した日々を過ごす。レコードや本に囲まれ、なんかオシャレなパスタだかなんだかを作ったりする。羊をめぐる冒険は、村上春樹セカイ系的な話を書き始めた最初の長編だとか言われることがあるのだが、その話が北海道を重要な舞台として選んでいる点は興味深い。北海道には行ったことがないのだが、噂によればアメリカ的な広大な土地と地平線とすげー長い国道と、みたいな風景があるらしく、それがセカイ系的な感性を育むのだと勘ぐりたくなる欲望を喚起させる。

十文字青先生の対談イベントにはガクショウに誘われて行った。十文字先生は想像以上にイケメンだった。流行を無視して暗い話ばっかり書いているイメージがあるのでアーティスト気質なのかと思っていたら、話を聞くとマーケットを非常に意識しているらしく、それなのになぜああした作品を書いているのか不思議だ。なんか最近よく読まれている若手の純文学作家や文芸誌の編集者なども参加していたのだが、対談後のディスカッション(私は十文字先生の円に入っていた)では正直有益な新しい議論が生まれていたとは言いがたい。せいぜい「文学」からの反動的見解が出た程度であって、それは昔からミステリとかSFに言われていた「人間を描けていない」論を大きくはみ出るものではなかった。それに対して十文字先生は、私なりに換言すれば「ラノベが人間を描かないのはそれが商業的に正しいからだ」という非常に腑に落ちる解説をされていて、ラノベを文学的に鑑賞する、あるいは文学の側からその価値を検討する、みたいな態度よりはよっぽど信頼が置ける。

坂上秋成と十文字青の対談では一つ大きな対立軸があって、それは坂上が、最近ラノベから思春期の屈折した自意識とかを扱った小説が減っていって、アニメ化を企画段階から狙った萌えとか学園などの似たような題材ばかりを扱った、読んでて気持ちいいだけのラノベばっかになるのはどうなんだ、みたいな話をしたのに対し、十文字青が、ラノベのタイトルは需要と供給の原理に忠実に従って生まれているので、今そういうファウスト的な小説が減ってるということは屈折した自意識への需要がないということであり、そういう需要が再び一定数を超えてくれば必然的にそうしたラノベが流行るであろう、また、ラノベ出す側は常に新しい流行を生み出そうとしっかり考えながらやってるんで、いつまでも萌えだ学園だばっかりが続くことはありえないだろう、というようなことを述べていて、今現在思春期自意識系のラノベが少ない(ように見える)状況に対して決して悲観的ではなかった。つまり、状況を悲観するのかしないのか、という対立軸があった。第三者の無責任な視点からすると、ようするに今日必ずしも商業的でないラノベのアート的・文芸的な要素も商業的な必要性に応じて用いられたり用いられなかったりするだけだ、という意味で十文字先生の話のほうに説得力があったのだが、坂上秋成みたいな意見を言う人間が現にいて余人の関心を得ているということはすでにそこに需要があるんだとも言えるわけで、あとは商品をどう工夫するのかという問題なのではないかとも思える。ファウストが解散してしまうのは、単にファウストという雑誌のカラーがあまりに偏っていたからなんではないか。

しかし日曜の昼下がりに住宅街の小学校跡地に作家や編集者やそのファンらが集まって、よりにもよってラノベの話をするというのはかなり牧歌的な光景だった。緑色のスリッパを履かされ、歩くたびに「パスパス」音がし、小さい頃病院に入院していたときのことを思い出し、いやにノスタルジーを刺激され、小学生に戻ったような気持ちになった。