読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

hkmaroのブログ

読書の感想など

吉本隆明『完本 情況への発言』

帰宅途中に本屋で買った。すばらしい本だ。吉本は詩がよくて、思想家と言うよりも詩人だと思っていたけれど、この本に書いてあることもすばらしい。

おれたちは十代や二十代のころからアランについて小林秀雄桑原武夫に永いあいだだまされていて、アランを文学芸術好きのセンスのある断章的な哲学者だというイメージをこしらえあげていた。だがアランがラジカルなアナーキズム系の思想家だということを、かれらはいちども紹介もしないし、解釈もしなかった。何が「外部」だ。嗤わせるな。バタイユ澁澤龍彦好みの偏倚な文学、哲学者だと読者は現におもわされているんだ。澁澤が偏倚好みのバカな「外部」文学者だからだ。フーコードゥルーズデリダは、蓮實や柄谷によれば「天使」哲学者だというイメージになる。だがバタイユ澁澤龍彦などに歯が立つような奴ではなく、生々しくおおきな普遍的な思想家だよ。フーコーは権力について、十九世紀以来の知の宗教であるマルクス主義を含めて根底的にいってしまってる哲学者だよ。蓮實や柄谷や浅田のようなソフト・スターリニズムにシャドウ・ボイスで帰順してしまった連中などが、言説の血も流れないところでシャドウ・ボクシングだけで舌をそよがして言及できる相手じゃないよ、ほんとはな。

この部分を読むだけで、いかに吉本が正しかったかというのが、歴史を経て明らか過ぎるほどにわかってしまう。近年、フランス現代思想の大家たちをニューアカ的オシャレさや晦渋さと結びつけて解釈するのは間違いで、むしろ本国では政治的実践と深くかかわりのある思想だったのだという理解が一般的になりつつある。小林秀雄桑原武夫がイメージ作りのためにアランを利用したのだとも読めるところも良い。私は日本の文芸批評というものを一切信用していない。日本の文芸批評家は、まさに吉本が言うところの「ソフト・スターリニズム」「シャドウ・ボクシングだけで舌をそよがして」いる連中ばかりだと見受けられるからだ。

まるでヘーゲル思想を受け継いだ思想家たちのなかにキリスト教を重んずるヘーゲル右派と宗教を廃する唯物論的なヘーゲル左派が存在しているのと同様に、吉本の思想から影響を受けた者達の中にも吉本右派と吉本左派がいるらしい。マルクスからの影響を隠さない吉本からの影響を受けておいてなぜ吉本右派なるものが存在しうるのか、以前から疑問に思っていたのだが、『情況への発言』を読んでいるとなんとなくわかる。吉本は「左翼」だとか「進歩派」とか「インテリ」というもの全てに対して徹底的に批判をした批評家だった。

<労働者>階級とは今日どのような情況で、どのような惨状のなかにあるかも知らぬくせに、組合連合体事務所の知識で<労働者>階級などという言葉を口にするな。じぶんの<私有財産>が、欠乏したとき、どういう<諸感覚>がおとずれるのか、経験したことも想像したこともないくせに、<私有財産の揚棄>などと、口真似するな。

このように発言した吉本自身は、四十歳台半ばまで特許事務所に隔日勤務する「非正規雇用」の労働者でもあったらしい。

だが原発についてだけは、「予言」が外れたことはこの上なく致命的である。もちろん、批評家ふぜいが「予言」をすることの滑稽さや無意味さや、「予言」はそもそもその場限りのパフォーマンスに過ぎないという批評家商売の上での事情を考慮に入れたとしても、一体誰がどのような利害関係のもとで原発を推進しているのかということについて注意深くなりすぎることはないのだという教訓を、我々は「反反原発」の論陣を張った吉本の諸発言から反省的に得ることができるだろう。時にはスターリニストの威勢のよさを利用しなければならないような時代の流れというものも有りうるのだ。