hkmaroのブログ

読書の感想など

音楽産業資本と消費者ロックバンド

Far apart Daily life というバンドのライブを偶然見たが非常によくて物販のCD二枚を買ってTシャツまで買った。曲名に「アルテイシア」とかあったり、「壊れてしまった君と僕と世界」なる曲があったりすることからわかるように、これはハイコンテクスチュアルなバンドである。

ロックバンドは最近は金を生み出さないと思われていて、メジャーな音楽産業資本はロックバンドにあまり金をかけなくなっているとか、冷淡になっているとか、それゆえにさらに売れなくなっているとか言われている一方で、毎年デビューするバンドの数は何百とあるとか、インディーズレーベル+ディストリビューターの組み合わせでお金をかけずに実質メジャーなバンドと同じ規模の活動をしているバンドが増えており、それらはただメディアにあんま出ないだけなのだとかいう話も聞かれる。しかしそういうインディーレーベル所属バンドとかのさらに下には特定のライブハウスと付き合いつつ自主企画ライブイベント等を地道におこなう草の根の消費者層からなるロックバンド達がいて、彼らも活発に活動している。ロックはもはや金を生み出さないという先入観とは裏腹に、ロックをやるにはそもそも非常にお金がかかるので、ロックバンドが増えれば楽器屋やリハスタやライブハウスが儲かるし、ロックシーンが盛り上がれば(つまりロックへの需要が増えれば)客もロックバンドをみに来るようになったりCDを買うようになる。しかし今現在ロックバンドをやる奴は沢山居るのにロックが金を生み出さない(と思われている)のは、端的に言えばロックバンドのライブをみに来る奴のほとんどが同じようにバンドやってる奴であったりとか、音楽産業資本からロックが見捨てられたからだと思う。いくら何百のバンドがデビューしても、それは弾を沢山撃って売れなければ即捨てるという話でしかなく、しかもよしんばメジャーデビューしたロックバンドが売れても売れたときには既にロックではなくなっている。

私の世代の人間はいつもテレビからなんかしらのロックバンドの音楽を聞いていたし、CD屋にもちゃんとしたロックバンドのCDがそれなりに置いてあったし、ロック雑誌にはちゃんとロックバンドの記事が書いてあったのだが、しかし今の世の中資本はロックへは注入されずにロックだかR&Bだかテクノだかアイドルだかアニソンだかなんだかよくわからない雑多な音楽ジャンルの寄せ集め音楽に集中している。音楽産業資本はロックをジャンルとして維持しようという意思を持っていないのだろう。そういう次第でメディアからロックバンドの姿があまりみられなくなり、中学高校時代にロックバンドの強い影響を受けて育った世代の人びとは草の根でロックをやるしかなくなっている。インディーズのバンドが増えているというのも同じようなことだとは思うのだが、しかしそれの半分くらいは多分昔レコード会社からCD出してた人たちが天下り式にインディーズでCDを出したりしてるだけだろうし、レーベル運営のちゃんとした仕組みがあるんだかないんだかわからないインディーズではバンドの使い捨てはメジャーなレコード会社においてよりももっと酷いだろうと簡単に想像できる。

しかし草の根であろうとインディーズであろうとメジャーであろうと良いバンドはいるのであり、そこに相互作用が働かないのは(つまり草の根でやってるけど本当に良いバンドがデビューしていない一方で、メジャーでやってるけど明らかにゴミな音楽に過剰な金がかけられるのは)そもそも資本の側に良い音楽をディストリビューションしようという意思がない上に、音楽文化を盛り上げる(=音楽への需要を掘り起こす)意思もないからだ。つまり、良いロックバンドが沢山草の根で活動しているという「現場」があるのに、それを見ずになんかゴミみたいなユニットだかバンドだかなんだかをコネや温情や、社員の腐った音楽センスで「デビュー」させて無駄な金を使って「なんで売れないんだ! そうか、違法コピーが蔓延しているからか! 許さん」などと頓珍漢なことを言っているのが「音楽業界」なのである。そしてこの話は本当はロックバンドに限らず敷衍できる話であって、例えばテクノとかヒップホップなんかも音楽産業資本の気まぐれで使い捨てされたジャンルであって、これらの音楽をやる人はロックバンドと同じように草の根でこそ活発に活動しているんではないかと思う。

しかしこういうところにこそ資本主義の格好の獲物である落差は存在している。残響レコードの社長はそうした意味でやはりすごい嗅覚を持っていると思う。普通のレコード会社がロックバンドを10代の中高生に向けて売り出すのに対して、残響は20代後半から30代前半のロック好きに向けて売り出したのだという。それらの年齢層の人たちは、やはりレコード会社から見捨てられた人たちで、新しいCDに「昔のような良い音楽」がないから漠然と昔のCDを聞き続けていたり、海外のロックバンドのCDを聞いたりしており、そういう人に向けた日本発の本格的で新しい前衛的なロックバンドを売り出すレーベルは新鮮だったろうと思う。もちろんインディーズでは既にそうした「同世代」にターゲットを絞ったレーベルはいくつか存在していたのだろうが、残響の特徴はそうした芸術性擁護やニッチを対象としたマーケティングと、高度な資本主義的商売根性が同居しているところだ。

草の根ロックバンドに足りないものは、そうしてみると、芸術性やバンドそのもののクオリティではなくて、資本主義に対して卑屈に順応する精神ではないだろうか。芸術性はエンタメにその座を明け渡す必要は実はなくて、芸術的なロックバンドを資本主義的に宣伝して広めていく労を惜しまないことこそが重要なんではないか。今どきどのバンドもマイスペやオーディオリーフでの試聴とか、ユーチューブへの動画投稿とかやっていて、よっぽど曲がウケた場合は別として、それにも関わらず客はこないわけだから、それらには実は宣伝としての効果はほぼ無い。ここは素朴に、レコード会社がどうやってバンドの人気を積み上げてきたのかを参考にすべきではなかろうかと思う。具体的にはテレビ・ラジオ・雑誌・店頭などでの宣伝なわけだが、これらは手法としては各々のチャンネルに既存の客に対してその場を間借りして広告を打つということと同じだ。

文化産業の資本主義に順応するということは、作品や作家に内在する「良さ」をエンタメ側にシフトさせるということではなくて、実は単に人(と金)が沢山流れている場所へ躍り出るということをしか意味しないのではないだろうか。そこで作品や作家を無理矢理にでも群衆の前へ連れ出すマネージャーの存在が重要性を帯びてくるように思う。