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hkmaroのブログ

読書の感想など

マンガ家やラノベ作家が左翼でなければさまにならない理由

ラノベやマンガを読んでいるとあからさまにネット右翼的な発想をもとにかかれた場面が登場してきたりすることが稀にあるのだが、そういうのを読むと顔を背けたくなる。傍ら痛くなる。みっともないなあ、と思わずにはおれない。ラノベやマンガはただでさえバカが読むものだと思われているのだから、あえてそういうものに耽溺するのであればそれなりに理論武装していなくてはならない。故にマンガ愛好者たちは表現の自由がどうのこうのという付け焼刃の理論を学んで左翼じみた言説を展開するのである。左翼的な思想を持つのは大抵インテリなので、オタクが左翼的にふるまうことは、マンガやラノベを読むのはインテリである、という(ほとんどが虚偽の)外観を作ることに寄与する。こういうオタク達の涙ぐましい努力によって、かろうじてマンガやアニメが、テレビ文化圏の真にゴミクズでしかない文化産業から一線を画した地位を保っているのである(ちなみにこの文化産業という概念は非常に便利だ。最近読んでいる『啓蒙の弁証法』は文化産業の章においてページからあふれ出てくるかのようなアドルノの大衆文化産業への憎悪と呪詛が痛快だ)。オタクは本当は心情的に右翼であっても左翼を気取らなければならない。右翼的に考えれば、どこをどうやってもマンガやラノベが国家的にか民族的に保護される価値があるとは思われない。しかもこの国際的な競争が激しくなっている時代にあって。本当に日本国や大和民族のことを考えるならば、マンガやラノベなどは全て焚書して、若者には思い切って洗脳教育を施さねばならない。オタク文化が世界をリードする、なんていうのは幼稚な思い込みだ。二次オタが同時に右翼であることは原理的に不可能なのだ。そうしたことを全く悟らずに、小説や漫画の内部でブサヨ批判を繰り広げたり、ネトウヨ陰謀論を展開したりする小説には目を覆わずにはいられない。お前いますぐラノベ書くの辞めろ、と言わざるを得ん。現在的なオタク文化の繁栄は、ネトウヨの大嫌いな戦後民主主義を通過せずにはあり得なかった、ということを、ネトウヨはどう内的に処理するのだろうか。江戸文化とオタク文化をアクロバティックに接続することでなんとかしようとするのだろうか。それこそ目も当てられない痛々しさだ。

というようなことを、新しいラノベの中でいま最も売れているという『魔法科高校の劣等生』というラノベを読みながら思った。同じことは『学園とセカイと楽園』という知能指数の低そうな作者の書いたラノベを読んだときにも思ったが、これらが二作ともに主人公(=俺)TUEEEE小説であることも注目に値する。頭が良くて真に国の将来のことを考えている右翼は「俺」のことなんかはどうでもよくて、もっと帝国主義的な考え方をするんではないかと思うがどうか。