hkmaroのブログ

読書の感想など

この世的なもの一切のスパム性について

数日前、はてなブックマークのhotentryに資産運用を勧誘するページが入っていて、これはスパム記事であり削除すべし、みたいなコメントが沢山ついていたのだが、しかし私には他にもいっぱい上がっていた「ライフハック」だの「効率よく勉強するための○つの方法」だのといった記事との違いがはっきり言ってまったくわからなかった。こういうお役立ち情報みたいな記事がhotentryにたくさん上がっててなんとなく、うぜえ、と思っていたが、そうかこれらが軒並みスパムと同じことを書いてブックマークを集めているからなのだ、と得心がいった。人生の役に立つ一切の知識はスパムだ。この世的なものを大切にする態度は、要するにエゴイズムでしかない。人類の知恵の崇高な部分は、この世的な価値観にとらわれず、超歴史的に輝く側面にしか存在しない。役に立つ知識を集めたからといってどうなるのか。金が儲かるのか。儲かった金でいいものが食え、女とセックスでき、いい車を買え、安全を買え、良い医者と弁護士を雇えるのか。しかし、それが一体何の価値をもつのか。平均余命の最も長いといわれている日本においてさえ、四十歳を過ぎたらもう半分も生きられないのだが、それでも飯と女と車のことで頭がいっぱいなのか。金で人生が守られると思っているのか。先生、先生、と呼ばれなれている腹の出た態度のでかい老人を見るたびに、憐れみに似た気持ちを抱く。彼は一度も自分の人生の価値を顧みることなく、快感原則に忠実に生きてきたのだ。難しい試験に合格するための努力も、若さを失って以降の人生を快楽で満たすためにあった。端的に私はそれは卑しい生き方だと思うが、しかし人生を顧みることのできない人間にとってはそれが最善の生き方でもある。では人生を顧みることのできる人間の生き方とは何か。あの世的な価値観の実現に人生を捧げることだ。あの世的な価値観に準拠する人間の生き方は、一見それこそ卑しい職業に就いた卑しい生き方に見えるかもしれないが(なぜなら何の国家資格も持たないわけだから)、しかし現世において卑しい職業に就くこと自体が現世否定であり、あの世的で永遠的な「神の国」の実現への奉仕を可能にしうる。

しかし以上に述べたあの世準拠の精神は、役に立たない一切のものにも存在を肯定する絶対的な意義がある、などという幼稚な精神とは全く違うということを明記しておく。また、ここで言う「神の国」は当然教会のことを意味しているのではないし、絶対精神的なものを意味しているのでもない。あの世はこの世の対義語としてしか表現できないが、しかし古典の齎す精神的な豊潤さは、あの世的な価値観に準拠した人々の努力によって築かれた。生まれた生きた場所も時代も違う精神が、その精神的遺産を通じて未来へと託され続けている、その事実がこれ以上ないあの世の存在の証明である。もちろん、ルネサンスは支配的な現世に対して別の現世をぶつけるための道具として利用されただろうし、古典それ自体が金の儲かる商売でさえあるかも知れないけれども、しかし同時に利益度外視で古典を広げようとする人類の活動も途絶えていない。あの世を想うことこそが人間の人間たる所以だ。人間はこの世にのみ生きることはできない。それにも関わらずおカネなどというcurrentなものに縛られまくっているおカネ持ちは憐れむべきなのだということは、誰がどう見ても明らかだ。