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読書の感想など

『電撃☆SSガール』感想

『電撃☆SSガール』(至道流星著、講談社BOX)を読んだので感想を書いておこう。
ネタバレを含むのでご注意いただきたいと思います。

前の日記であらゆる意味で敗北感を感じる、と書いたこの著者であるが、読み終えた今はあまり感じなくなった。理由は、著者とこの本からにおい立つような苫米地臭を感じ取ったからである。苫米地とは当然苫米地英人のことであり、絶対に一億儲かるだの、絶対に巨乳になれるだのといった、いかにも怪しい本や何やらを沢山出してる怪しい人で、なぜか「天才脳機能学者」ということになっている。この『SSガール』はよくも悪くも「天才」がテーマになっていて、しかも小説の中でいくつかそのまま苫米地の本から引用したと思しきネタが散見される。

とまれ、まずこの小説をパターンで切ってしまうことにしよう。この小説は「天才美少女モノ」であり、ヒロインは年齢的に少女ではないが、完全にこのカタにはまった極めて類型的な小説だ。この「天才美少女モノ」の特徴は、ヒロインの美少女は天才であるが、天才であるが故に対人コミュニケーションが不得意であり、そこをフォローする形で主人公の男が帯同するようになる点である。そして男の主人公はヒロインとは対照的に能力的に秀でたところが皆無の極めて普通の凡人なのだが、性格や人脈、ようするにコミュニケーションの様態をヒロインに魅入られて、なんとなく天才美少女と付き合える、というのがパターンである。美少女探偵が出てくるミステリは多くがこのパターンを踏襲すると思われる。そうでなくてもラノベでもよく見られるパターンだ。

またこの小説はハーレムラブコメでもある。ヒロイン達は全員成人しているが、その精神年齢は萌えラノベに出てくる女子高生たちと変わらないかそれ以下である。ヒロイン達もどっかでみたことあるような感じのキャラばっかりで、例えばメインヒロインは涼宮ハルヒみたいなキャラ、長門みたいなキャラ、義理の妹キャラ(巨乳)がいて、さらにサブで朝比奈みくる系のいじられキャラが一人いる。当然のことながらメインヒロインの三人は三人とも主人公に惚れている。萌えシーンもメディアファクトリー文庫の小説をでも参考にしながら書いたことが伺える非常にありきたりな筆致である。

以上の萌えラブコメ的カタにはまった上で、経済小説でもあるところが独自性だとみなされたのだろう。まあたしかに独自だと言ってもよかろう。しかし小説の中にこれまたありきたりの陰謀論を真実として何の留保も無く載せてしまうのはどうだろうか。しかもそれを「天才」が語ってしまうのである。聞くほうの主人公も、もうちょっと疑えよ、という感じだ。

そして極めつけはあとがきの強烈なインパクトである。本作に登場する数多のビジネスは、著者が実地に経験したものばかりであり、本や伝聞による知識ではない、というのである。そうするとアメリカの経済を裏で搾取しているナントカ財閥とファンド事業を行うとかいうのも実際に経験したことなのだろうか。さすがにそれはなかったとしても、法律のスキマを縫った新しいビジネスプランを考えたり、子供のIQを上げる方法を解説したDVDを作ってアジア全域で売ったりしたのだろうか。さすが苫米地の影響を受けているだけありやっている事業もそっくりだ。「実は小説とは無縁の生活を送ってきました。読みもせず、ましてや書きもせず。趣味は読書ですが、すべてノンフィクションや学術書ばかり」という文もいい味を出している。そして「執筆一作目にして講談社BOX流水大賞を受賞」らしい。「執筆一作目」って、わざわざ言う必要あるのかそれ。

最近苫米地のあの中二病的に怪しい感じについて、ある後輩と話したのだが、このような苫米地の「天才」っぷり、至道の「執筆一作目」っぷり、宮台の「ソーシャルエンジニア」っぷり、宮崎哲弥の「札付きの不良」っぷりについて、私は仮に「マスオーヤマ症候群」と名付けようと思う。これは中二病の一類型には違いないが、普通の中二病と違うのは、五十過ぎたオッサンになってもそれが持続する点であり、かつ外見上超能力や魔術などの非現実的なパワーに頼っていないように見えながら(つまり邪鬼眼ではないように見えながら)、邪鬼眼に極めて近い「すごい能力自慢」がみられる点である。これは素手で熊だか牛だかと戦い殺したというマスオーヤマの伝説を彷彿とさせる。これらの人々は、マスオーヤマ的な伝説の中を、今現在も生きている人々なのであろう。つまり生きた伝説である。症状の名が「マスオーヤマ症候群」ならば、発症したひとのことを「生きた伝説」と個人的に呼ぶことにしてみようかと思う。