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hkmaroのブログ

読書の感想など

貧乏人として、仙人として

こういっては何だが、私の周囲で私くらいに貧乏な人間はめずらしい。多分。金の使い方を比較すれば誰がどのくらい金を持っているかは大体わかると思うのだが、これは学生時代からうすうす感じていたことだが、私の周囲の人間は結構な金持ちが多く、金に対する態度というか、金の希少性についての認識みたいなものが、私と私の友人たちとでは大分ちがう。私自身は貧乏とまではいかなくてもほんとに中くらいの収入の家庭に生まれたと思っているが、まあ、色々あっていまは私の実家も貧乏といってもいいくらいの家計だろうとおもうが、しかし高校くらいまでは中産階級の息子として育った私であったが、大学に入ってからはやっぱり同級生はみんないいとこの息子や娘ばっかりでお金持ちだなあ、と思うようになった。やっぱり腐っても馬鹿田大学であるから金持ちの子弟が多いのだろう。おそらく大学時代に親友と呼べるような友達がほとんどできなかったのには同じ階級出身の人間が周囲にあまりいなかったということがなんだかんだいって大きいのではないかと思う。ところで、そうなるとやっぱり腹を割って話せる友人というものがなかなかいないわけで、するとどこかでその疎外の感覚を吐き出すためにこうしてブログなどで長文を書き連ねる習慣ができてしまう。

階級がどうとかいう問題とまた別に、色々な、例えば小説の趣味とか音楽の趣味とか普段考えていることの傾向とか、そういうものが人とは大分ずれているのではないかと結構前から思っている。自分で言うのもなんだが、これは非常に不幸なことだと思う。人と話すのが最初から無駄そのものとしか思えない瞬間が多々あるのだ。みんなが大笑いしてウケているネタに全く共感できないこともよくある。もちろん会社での愛想笑いとかっていう話ではなく、そういうしがらみのない普通の友人たちとの会話でもそうなのである。いやまあ当然ほとんどの場合は普通の人と同じように普通の会話をすることも可能なのだけど、ふとした瞬間に自分がなんかエイリアンででもあるかのような感じがすることがある。だから、人に何か話して分かってもらうとか、何か書いて読んでもらうとか、それによって何かしら感動してもらうとか、そういうことについては大分諦めがついてきたので、今の時代これこんなふうにはてなダイアリーなんていう良い物もあることだし、自分の趣味や寝言や妄想をオナニー的に垂れ流し続けることが可能になったわけで、これを細々と続けてそれで俺の人生は終わりでいいんじゃないかと思えてきた。もちろんそのことと将来的に仕事だとか収入アップとかをどうするかという問題とは基本的に別だ。しかし、社会に出てどうこうみたいな話は昼間外に出ている時間のみに限って、夜の自分の時間にはブログをシコシコ書くというライフスタイルが理想だと思えてきた。だから要するに、仙人のようにというか、隠れ仙人のように生きるのが理想だ。都合の良いことに、仙人とは霞を食って生きているのであり、すなわち同時に貧乏人でもあるということに世間的に了解されている。俺は仙人を目指す。