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hkmaroのブログ

読書の感想など

日記

ツイッターとかミクシィとか最近はSNSが色々あって、友人知人とフォローしあったりマイミクになったりとかして、近況とかを勝手に垂れ流しあうコミュニケーションが流行っているわけなのだが、その肝心の友人知人のつぶやきがクソみたいなのばっかりだと萎える。最近だと、つぶやきが多い人のつぶやきを非表示にしたら非常に画面がすっきりして意味のあるつぶやきで占められたので満足した。しかし意味のあるつぶやきは一日一回か二回くらいしかない。俺の友達がこんなに無内容なつぶやきをするわけがない、と信じたいが事態は真逆のほうへ間逆のほうへと進んでいく。無意味、無内容で、馴れ合いのためだけの言葉や、同質性確認のためだけの言葉や、自己陶酔のためだけの言葉が飛び交い、もうノイローゼになりそうだ。そういう言葉を最初から自分のところまで届かないようにすると非常にすっきりする。すっきりするし、こころ健やかに過ごすためにもよいだろう。

『ぷりるん。』読み終わった。ラブコメ的テンプレが崩壊していくが、しかしラブコメ的物語展開が機能しない世の中でも、ラブコメ的テンプレの深層にある色んな事情を理解したあとでは、その中にも少しはいいことがあるとわかり、いろいろあってもそれなりに生きていくことができ、しかも最終的には徹頭徹尾無条件に自分のことを愛してくれる本当の彼女がいてその彼女と結ばれることができるのである、という話なのであるが、これはほとんどケータイ小説である。読み終わってかなりがっかりした。いろんな恋愛をして、性のレッスンをして、経験を積んで、最終的には真の愛を知ることができるというわけだ。こういうのを求めてラノベを読んでいるのではないだろう、ラノベの読者は。こういうのが読みたければケータイ小説を読むよ。ケータイ小説じゃなくとも「女流」作家の書いた「純文学」を読むよ。ラノベで敢えてこういうのをやることに意味があると思っているのだろうが、しかし繰り返しになるけれども世のラノベ読者の八割以上がそんなことは分かった上でラノベを読んでいるし、もしそうでなくてもこんな風に「幾多の経験の末たどりつく真の愛」みたいなデキの悪い宗教じみたビルドゥングスロマンはエヴァが打ち立てた金字塔の足元にすらたどり着いてない。そんな「真の愛」を否定して尚孤独に現実に生きる、と悲壮な決意を固めたがやっぱり嫌でアスカの首を絞め、挙句の果てに気持ち悪い、と言われても生きるしかないシンジ君を描いたのが約言すればエヴァだったわけだが、ぷりるん的な性のレッスンはそれを見ない振りをして宗教的なゴールを設定して本当の彼女(つまりソウルメイト)に出会うための旅という物語を捏造する。無条件の愛、という現実に存在しないものを描いた時点でその他大勢の豚御用達ラノベと同じですから! 残念! これがラノベの限界か。とにかくがっかりした。がっかりしすぎて悲しい。悲しくて今酒を飲んでいる。