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hkmaroのブログ

読書の感想など

日記

結構間が空いてしまったがはてなダイアリーの更新をしようと思う。

昨日はバンドのミーティングに行った。飲み屋でミーティング。バンドの話よりもアニメの話でもりあがる。アニオタバンドの様相を呈している。

十文字青一迅社文庫のラノベをアマゾンで取り寄せてあったので今日読み始める。『ぷりるん。—特殊相対性幸福論序説』という小説であるが、ちょっと読んだ感じだとラノベによくあるハーレム系ラブコメの設定がラノベ的ラブコメ的な時空から現実世界にそのまま移し込まれたらどうなるかという思考実験を試みているような感じの小説だと思った。お兄ちゃん大好きの妹や、弟に性的イタズラをするエロ姉とか、なぜか主人公のことを好きな学園のアイドルや、なぜか女を巡った競合関係に陥らない親友たちなど。その他にもいろいろテンプレ的な設定が登場するが、そうした表層にリアリティあふれる合理的な過去や展開を付け加えたのだと思われる。

これはこれで『まどマギ』的にメインストリームに対するアンチとして機能するし、それはまあいいんだけど、しかしそれだけでは単なる苦情だし、ラノベ的メルヘン世界に浸る人たちの八割以上がこの殺伐とした現実社会を前提として知った上で尚ハーレムラブコメを望んでいるのであるから、こういう試みが空気の読めない冷やかしみたいなもので終わってしまうであろうことは想像に難くない。『まどマギ』はその点殺伐とした世界観を描きながらも真にはメルヘン世界を壊さなかった点が商売上手だったのだろうと思う。だから『まどマギ』はコペルニクス的転回を齎すアンチテーゼを装っただけのオタク的メルヘンを肯定するしか能のないアニメであり、そこには何の止揚もない。だから私は『まどマギ』もまた豚御用達アニメだし、しかも『まどマギ』のファン(=豚)がその視聴にあたっては自らの本質を隠蔽しようとする(「エヴァを超えた」宣言とか「豚はISでも観てろ」発言などのたぐい)ところに不快さを感じるので、むしろ同時期に放映されていた『インフィニット・ストラトス』みたいなアニメにこそ潔さを感じるし、もっと言えば川原礫の小説みたいにメルヘン世界こそがオタクの本当の居場所だ、みたいなキチガイじみた宣言をする話にえらく感動してしまう。ちなみに一貫して流行のアニメに対して情念的な批判を続けているふよりまくりというサイトがあるが、私はこのサイトのシンパサイザーである。

話はそれたが、その点この『ぷりるん。』がどのような経過を辿るのか非常に楽しみにしている。十文字青について、上遠野浩平的なポジションにつく選択をした数少ないラノベ作家だと大変期待しているから。

あと、最近『秋葉原事件—加藤智大の軌跡』という中島岳志の本を読んだ。特に何の説明もなく宮台用語が連発して登場してくる少々ウザい感じの本であったが、まあそれなりに面白かった。母親の異常な教育とか、リセット可能な現実とリセット不可能なネットコミュニティという対比も面白い。匿名的なネット掲示板でこそ本音で話すことができ、本音を話せるからこそネット掲示板はリセット不可能な本当の居場所にもなる。加藤に対しては私もほぼ同世代ということもあり関心がある。あと、加藤と酒鬼薔薇も同世代である。同世代ではあるがこの二者はだいぶ事情が違う。違うのだが酒鬼薔薇が我々世代にメディアによる脚色を媒介して非常に強い影響を与えたことは間違いない。メディアとか評論家とかによる解釈には、現代社会の歪みが生み出したモンスター、みたいなものが結構あったと思うが、それは的外れであったにしろ当時小中学生だった人びとに、「この社会は歪んでいる」という観念と、「我々世代はその歪みをもろに受け、時には殺人鬼にもなりうる」という観念をインプットした。西尾維新という作家がいるが、この作家の小説はあからさまに酒鬼薔薇な小道具を用いている。端的に言って「殺人鬼」とか「殺人」とか「欠陥」とか「人間として壊れている」などの言葉であり、それらは明らかにミステリ的な用途の枠を超えて頻発する。酒鬼薔薇を勝手気ままに解釈した大人たちの言葉をもろに刷り込まれて登場して来た作家という感じがする。しかし実際には酒鬼薔薇が犯行に及んだ最も大きな理由はネットでちょっと調べればわかるが(ネットの記事を信用するならば)性欲と暴力が未分化だったことによるのであって、「酒鬼薔薇が社会の歪みに影響を受けて鬱屈して屈折して『人間として壊れ』たのだ……」という解釈は過度に情緒的である。ところで加藤と酒鬼薔薇の共通項として教育ママゴンの存在がある。母親ぎらいだったのだ。これは私も程度は違えどある程度共通しており、今でも母親については心底憎たらしく思っているし、たまに母親と会話をすると「こいつはなんでこんなに人を腹立たせる言葉をしゃべれるのだろうか」と思わせられるほどにムカつく。子供の頃たまに母親の帰りが遅くなったときなどは、「このまま交通事故とかに遭って死んで親が永遠に帰ってこなければいいのになあ……」などと空想したものである。この教育ママゴンは絶対に人間の精神を歪ませる。これは断言してもよかろうと思う。では教育ママゴンはなぜ生まれるのか。競争社会が生むのか。宗教的価値観に換わってヘゲモニーを握った学校的価値観が生むのか。それとも女性としてジェンダー的に抑圧されてきた社会的成功への欲求が男の子供へと投影されるのか。私の母親に関して言うならば、その全てが当てはまっていた。おそらくその他の教育ママゴンについても大体同じようなことが言えるんじゃないか。そうだとすれば競争社会と学校的価値観と男女差別が犯罪の遠因である。