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hkmaroのブログ

読書の感想など

『ネムルバカ』を読んだ

今日は友人N君と例の世界史勉強会という名目で遊んだ。『ネムルバカ』というマンガをオススメされたので買って読んだ。

アフタヌーン系の大学生の日常を描いた青春マンガがマンガの一つのジャンルというか類型としてあるが、いつもこういうマンガを読むたびにイラッと来る。こういうモラトリアムマンガのなかでは往々にして主人公たちが、夢とかやりたいこととか自分の能力の限界とかに悩んだり、そもそもやりたいことなんて何もないのかも、とか気付いて懊悩したりするのであるが、そういう青春の進路の悩みを描いている当の作者は将来に対する悩みなどなく大学在学中からプロのマンガ家として活動していたりする。つまり、進路に悩む主人公たちを高みからあざ笑いながら、その主人公たちに感情移入するモラトリアム真っ只中の読者、あるいはモラトリアム時代へのノスタルジーを感じている読者たちをあざ笑いながら、当の青春マンガを描いているわけだ。これを欺瞞いや搾取といわずして何といおう。我々読者は作者の「夢」の餌食となってマンガの対価としてなけなしの五ないし六百円を書店にて支払う。買ったものは、夢のかなわなかった己の青春時代のプレイバックでしかない。もちろん、かなわない夢を追いかけたりそれに恐れをなしたりして悩むさまが一つのドラマであり虚構なのであって、それを読者は楽しんでいるわけだ、竜退治の物語や宇宙探検の物語と同様に。それに自覚的なのであれば別にもはや何も言うことはないのだが、おそらく読者の大半はこれら青春日常マンガが何らかの「現実」を描いていると思って読んでいるはずだし、それによって強い感情移入が可能になるのであり、いわば私小説的なリアリティがこれらのマンガにあるのだ、と思っているはずだが、そうではないのだ。本当はこれら青春日常マンガによって我々は、夢を餌にほいほいつられ、誰かの豪奢な成金趣味的「夢」の実現のために消費させられているだけなのだ。マンガ家となって夢をかなえた人間が、夢をかなえられなかった人間の青春時代を公正に描くことなど絶対にできない。作者本人の経験を除けば、単なる絵物語を描くことしか許されていない。単なる絵物語として描くことを許さない自己の内面をもたない人間こそが、しかしながら、人間社会を経済的に動かすのに最も有用な人材なのかも知れぬ。巷で流行っているお涙頂戴物語にまんまとのせられる人間は、確かに自ら喜んで労苦をいとわず社会の歯車になるタイプの人が多いような気がする。

一応世界史も勉強した。今日はルネサンスと宗教改革。今日のハイライトを表す世界史単語は「ヘルメス主義」と「ローマの牝牛」。ヘルメス主義とは、架空の古代哲学者ヘルメス=トリスメギストスの著書『ヘルメス文書』に影響されて流行った占星術や錬金術の潮流を指すらしい。こうしたオカルト的な知識は近代的な天文学や化学など諸科学の下地を作ったので重要なんだということらしい。「ローマの牝牛」とは、諸侯が300以上も分立していて中央集権化が進んでいなかったドイツにおいて、(教会をけん制する国家の存在感が薄く)ローマ教会の搾取が横行して、平民たちが非常に苦しい思いをしていたので、ドイツはローマの牝牛だと呼ばれていたらしい。そうです、我々マンガ読者はマンガ家たちにとってまさしく「ローマの牝牛」であります。同じマンガを大量生産するクソ漫画家たちに金を貢ぐ我々。