hkmaroのブログ

読書の感想など

ブルースを聞いた

昨日は会社の関係の人がやっているブルースバンドの演奏を聴きに中央線にのって荻窪とかそのへんに良くある感じの椅子に座って飲食しながらライブをみるタイプのライブハウスに行った。椅子の数は30脚くらいなので、立ち見を数に入れなければ単純に30名くらいがキャパシティということになる。しかしそういうライブハウスはノルマ制をとっておらず、飲食代で収益を上げているので、バンド側にノルマがない上にチケット代のバック率もノルマ制のハコより良いらしい。中野や高円寺や荻窪や吉祥寺などは反体制派や芸術家気質のカウンターカルチャーを愛する若者の町だということになんとなくなっているが、今はその昔カウンターカルチャーにかぶれていたかつての若者が集まるおっさんの町になっているのではないかと思う。もちろん若者も沢山いまだにいるけれども、どっちかというと単に汚い若者が多く、反体制な雰囲気はあまり感じない。反体制派でカウンターカルチャーを信奉する若者は、いまどこにいるのだろうか。そういう考え方をする若者は大抵いいとこのおぼっちゃんやお嬢様なので、貧乏臭い町にはいないのだろう。

曲の合間にほとんどしゃべりを入れないスタイルであったので、聴くのが非常に疲れた。やはり曲と曲の合間には、聴衆をリラックスさせる意味でしゃべりを入れた方がよいのであろう。しかし曲自体は非常によかった。ブルースは一般にいなたい音楽だと思われているが、ハードなのもあるし、宇宙的なのもある。ブルースの静から動へのダイナミズムはオルタナ系のロックにも脈々と受け継がれている。静寂部分の緊張感はプログレ的だし、その緊張を引き裂いてオーバードライブのギターが炸裂する様はアヴァンギャルドでもある。しかもそれらの全ての音をストラトキャスター一本で出すことができる。もちろん誰でもできるわけではない。この音色の多彩さを、ストラトキャスターのポテンシャルを全て引き出せる人のことを指して、「あの人はストラトさばきがうまい」という。特に昨日のライブで勉強になるなと思ったのは、ハーフトーンの使い方だ。インターネットの記事を読むとストラトのハーフトーンは「ガラスが弾けるような音」とか書いてあるのだが、まさにそのような音だった。自分がギタリストなのでギターのことしかうまく書けないが、ドラムもベースもオルガンも一般人の先入観とは違い、ブルースにおいては単調さと無縁である。

ブルースと切り離せないのは酒で、ライブ前に酒を飲んで気合いを入れ、ライブ中にも自分のパートが暇なときは飲み、休憩時間にも飲み、終わってからも朝まで飲む。ブルース的な深遠さを持つ酒は、アメリカではウィスキーなのかもしれないが、日本では焼酎である。私の父親もブルースが好きで、いつもブルースを弾きながら酒を飲んでいたが、日本の父親は晩酌に焼酎を飲むのである。その時聴いたブルースが私の脳みそに刷り込まれているのかもしれない(しかしその後ブルースを聴くことはほとんどなかった)。焼酎とは謎である。透明な液体を舌の上で転がしながら、その謎を解きほぐしていこうと試みるも、謎が解明する前に酩酊してしまう。酔いが回って脳がふやけたころ、あたかも謎が解けたかのような気がするが、しかしその悟りの記憶は翌日には消えている。かくしてまた酒の謎と格闘するために飲むのである。

ブルースと焼酎は、それを繰り返すことに何の意味もないにも関わらず、ただ自己目的的に深遠だという点において哲学と通じているように思う。だがそのような意味なく敷居が高い領域は、相田みつを的通俗人生哲学や安い精神訓話による大衆動員のかけ声のウソを見抜き、あるいは今ひとつの選択肢の存在を隠蔽する態度を暴露するためにも保持しておきたいものである。人間は役に立たないものをこそ大事にすべきだし、それを意識的に行うことのできるほとんど唯一の生き物ではないであろうか。かといってそれら役に立たないものを無条件に保護すべきと考えている勘違いしたおぼっちゃんやお嬢様は論外であるけれども。