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hkmaroのブログ

読書の感想など

生産者と消費者

サラリーマンになることによって学んだことは大体下記のようにまとめられる。

生産者は消費者が消費する対象を生産する、あるいは消費する仕組みそのものを生産する。大きくとらえれば消費者は生産者の作った仕組みの上でしか消費行動できない。消費が生活のほとんどの場面で重要な役割を担っている資本制の世の中では(資本制のもとでは生産活動をするには設備投資が必要で、設備投資は消費行動の一種である)、誰もが完全な自分の力のみで生産することは不可能である。誰もが、誰かがお膳立てした舞台の上にのってしか身動きできない。

話を卑近なレベルに持っていくと、客はお店に置いてあるものしか買えない。オーダーメイドするとしても手に入らない材料は使えない。また、そこには店と客の間に情報の非対称性が存在する。簡潔に言えば、客は店に対して相対的にバカである。店は常に「お客様」をバカにしているし、またそうでなければ商売は成り立たない。なぜなら商売は広い意味で「手間賃」によって成り立っているにすぎないからだ。客が原価を知ってしまったら、従来通りの取引は、少なくとも気持ちよくはできなくなるだろうし、最悪店に客が来なくなるか、あるいは値下げ交渉がはじまるであろう。

資本制のもとでは生産者は同時に消費者であるから、誰もが自分以外の人間をバカにしつつ生きている。世の中の人間は自分(たち)が用意した物やサービスに乗っかってしか生きられない。故に世の中の人びとを生かすも殺すも自分(たち)次第である、とまではいかなくとも、ある程度は余人を操作可能であると考える。

お客様は神様だ、という神話がまことしやかに語られているニッポンにおいても、お客様は神様なんかではなく単なるバカなのだということは誰でも直感的に分かっている。権力は客の側にあるのではなく店の側にこそある。

ところで企業社会においてモノやサービスをまさにその手で生産する現場にいる人たちがなんと呼ばれるかというと、技術屋とかセールスマンなどと呼ばれることが多い。工場のラインで働く人も広く考えればオペレーターつまり技術屋だし、販売員も広く考えればセールスマンである。上に書き連ねてきたことをふまえれば、資本制の末端に存在する技術屋とセールスマンこそがこの世で一番バカでない、つまり頭が良く、しかも権力を持っているということになりそうだが、そういうわけではない。もちろん現実的には職場の上司の方が偉いし、客の注文にも無理して答えねばならないという理由もあるが、それとはまた別に誰もが既に消費者であるからだ。

だがそのことに気づかない人びとは沢山いる。自分が生産者でありかつどうしようもないほどに消費者でもあるということに気づいていない人びとである。そういう人の一部は誇大妄想を抱くことになる。つまり、自分の知識こそがこの世で一番偉くて影響力も多大である、という思い込みである。これは技術屋によく見られる。「エンジニア」や、理系の人びとが政治に対してなにがしか言うときはこの思い込みが露呈しやすい印象だ。彼らにとっては自分の考え以外の意見は「イデオロギー」になってしまう。「普通の」「まともな」思考をすれば、とるべき方策は必然的に一つに収斂するはずだ、ということになってしまう。いうまでもないが、これこそが本来の意味でのイデオロギーである。しかも最も自己批判に欠けた素朴でナイーブな。

この無知が、セールスマン系の人に作用した場合はどうなるかというと、端的に技術屋への軽視というか蔑視として現れる。それがある程度発展していくと「現場をしらない取締役」みたいなよくある話になってくる。実際にこの世で「権力」と呼ばれて作用しているものはその背後にある資本によって実質的な力を得ているわけで、現場こそが実は権力を持っているんだ、なんていう説は笑い話にしかならない。金満家の資本家こそが権力者である、という命題も資本制のもとでは同時にこの上なく正しいのである。

この資本制下にある企業社会に問題があるとして(というか沢山あると思うが)、じゃあまずはじめにどこから改善していけばいいのか、しかも自分個人としてやれる努力として、という問題を設定して答えを考えてみることにする。自分個人に直接関係がある問題としては、社会の中の権力関係に由来する問題が考えられると思う。金持ちが無条件に偉かったり、上司や会社の決定には逆らえなかったり、客の無理な注文にも時には諾々と従わなければならなかったりする。それによって明らかに自分個人の本来建前上守られるべきとされている時間や金や命やその他の価値あるものが失われてしまうこともある。もちろん職務遂行上、つまり労務契約で定められた就業時間内であれば、一般的な商取引の「公序良俗」や「社会通念」に反しない限りで上司や客の言うことを聞かなければならないということはあってもいいと思う。そこにおける権力というか権限の非対称制は問題ではない。しかし、就労と関係ない部分にまで企業社会や資本制に特有の性質からくる権力の非対称制が持ち込まれるのであれば、それは問題だと言ってかまわない様に思う。企業の外部不経済がどうとかいう問題よりも、こういう問題の方が商売して働いている人全てにあてはまるから一番最初に考えなくてはならないのではないだろうか。金持ちが無条件に偉いのは、命も愛も金で買える世の中にあってはある程度仕方がなく、即変えることができないとすると、さしあたって上司(会社そのものも含む)と客という二つの問題の発生源を考えることができるのだが、上司に対してプロテストするのは、雇用すなわち生活そのものをたてにとられ、あるいは養うべき家族を人質にとられている以上かなり難しいと言わねばならない。労働組合は現状経営陣と戦うために運営されているのではないので、参加はさせられても何も期待しないのが賢いし、そもそも今時組合のない会社のほうが多いとすら言えるのではないか。すると残った客に対するプロテストは実行可能だろうか。偉そうな客に従うことなく社会生活を送ることはできるだろうか。一部の会社や店はこれを可能にしている。インフラ的なサービスを提供している業種がこれで、今話題の電気やガスや水道等は人びとの生活を脅かす実力をもっているから偉そうにできる。こういう仕組みを、人びとの生活を左右するようなモノやサービスを売っている訳ではない業種にも適用することはできるだろうか。おそらくできない。競合他社というものが普通存在するからである。客にはへこへこしなければ、会社の利益が他社に奪われてしまう。会社の利益を維持できなければ解雇される。すると問題は上司へのプロテストとドッキングする。

要するに、商売して生きていくということは、生活を商売のために犠牲にするということを意味するわけだ。すくなくとも犠牲にして良いという覚悟がなければ適切に企業社会には参加できない。その覚悟なしで上司や客に対してプロテストしようとするのであれば、上司や客に負けないくらいの金をもっていなければならない。つまり、馘首されても当分平気なくらいの金を貯蓄しておかなければならない。あるいは別の収入源をもっていなければならない。金の貯蓄は誰でもができるわけではない。特にしばらく(数年間)働かなくても良いくらいの金を貯めているのなら、彼または彼女は十分に金持ちだと言える。だが、問題は金持ちではない人のところにこそある。であれば、現在の職場以外に収入源をもつことが比較的実現可能な方法として考えやすい。もちろんこれも誰でもができるわけではない。本業に時間をとられすぎて副業などする暇もないかもしれない。夜や休日の空いた時間にできる仕事などそうそう見つからないかもしれない。しかしできる人はやるべきである。五時に仕事が終わるような恵まれた人はかならずやるべきだ。なぜなら、副業は資本制を破壊するためのプロセスとしてとらえることができるからだ。副業をやるとしたら、ネットを使った副業は空いた時間に行うことができるのでほとんどこれをすることになるだろう。どんな副業をやるかは人によって違うだろうが、副業をやることによって自由な時間がさらに減ることになるのは確実なので、それは趣味と実益を兼ねたものにするべきである。昼間会社でこき使われて受けた精神的ダメージを、副業によって癒せるようなモデルが作られなくてはならない。だから電子タバコやらオナニー道具を売るアフィリエイトやドロップシッピングは、それが本気で楽しいと思えるのでなければやっても意味がないし、広告の出稿やサイトの維持などに一日10時間も使ったりしてそれが本業になるようでは本末転倒だ。副業である程度儲けて、その収入源をバックに、上司や客に媚びることなく発言でき、クビになっても怖くない、という正常な人間が企業社会に沢山参加するようになれば、この世はある程度浄化されるのではないだろうか。